小説
わたしは気づくと、逆方向の江ノ電に乗ってしまっていた。 我ながら何してるのだろうと揺れる車内で何度も疑問に思った。彼はまるでわたしのことなど気づくこともなく、どこかそわそわしている。たまにスマホを見ては溜息をついてる様子がどうしても引っかか…
黄金色の浜風が俺の髪を強く揺らし、眼前の彼女自慢のポニーテールも真横へ流れている。 虚ろに映る海の匂いと幻想的な砂浜の霧に囲まれ、その瞳は真っ黒に染まっていた。「ごめんね。急に呼び出しちゃって」 「…………」 彼女の声は、今にも波の音に掻き消され…
「長谷く〜ん、ちょっとここで写真撮ってよ?」 「ここでか!??」 俺達は小町通りでお昼ご飯を食べた後、鶴岡八幡宮にいた。鎌倉市街の中心部とあってか、午前中の円覚寺と比べるとかなり人出が多い。班のメンバーもご飯食べた直後というのもあるのか、ぽ…
北鎌倉駅に朝十時。何の洒落けもない通勤電車に揺られ、ようやく辿り着いた県南の小さな駅舎だ。そもそも集合が一つ隣の鎌倉駅なら、藤沢駅での乗り換え一回で済んだはずなのに。 「そもそもなんで集合は鎌倉駅じゃないんだろうな?」 そう、これだ。俺と乗…
あいつのクラスが優勝した合唱コンクールから二週間が経ち、明日は鎌倉遠足その日となった。 季節は間もなく三月。そういえば鎌倉でも今は梅が見頃のはず。今年の冬は例年より少しばかり寒かったとはいえ、時期的には丁度頃合いだ。鎌倉は海にも近いから、同…
唯菜へ ほんといつもこの書き出しとか、今思うとどこか不思議な感じがするね。 私たちは学校でも会ってるはずなのに、改まり過ぎっていうか、ね。 だけどこんな感じで唯菜と交換日記を書き続けていられるのは、私も楽しいと思ってるよ。 これからもよろしく…
「おっ、今日も兄妹でデートかい? 本当に仲がいいねぇ〜」 日曜日の朝。俺らは初老の女性にふと声をかけられた。神社にもよく顔を見せる氏子さんの方だ。 「はい。これから隣の駅まで少しお買い物です」 そう答えたのは妹の美来。しゃなりしゃなりと繕う様…
風紀委員主催クラス対抗合唱コンクールは、結局藍海ちゃんのクラスが優勝となった。 帰り際、藍海ちゃんがするするっと近寄ってきたかと思うと小声で『うちのクラスが優勝しちゃったらタカくんにチケット渡した意味がなくなっちゃったじゃん』と言ってきた。…
「ははっ。それでタカくんは唯っちとは同じ班にされちゃったんだ?」 「一体俺と雨田に何を期待してるんですかね」 隣のクラスの担任、遠坂藍海。風紀委員の顧問でもあり、あいつの担任でもある。 俺や妹の美来の中での通称は、藍海ちゃん。というのも俺の家…
神様なんて、一体どこにいるというのだろう。 街の人は俯き、皆一同にじっとスマホを眺めてる。インターネットとかいう世界中の誰かと繋がって、顔も見えない相手と会話したり、話をしたり。だけど誰かってそもそも誰だ? 顔はなくても、文字を送れば文字が…
月香が僕の家に戻ってきたのは、今から二週間ほど前のこと。 ほぼ二週間ぶりに帰宅した月香は僕には何も言わず、僕の両親には『ただいま』とだけ言って迎えられた。 事実を知った後となってはやはり奇妙な話でしかない。つい数ヶ月前まで、『百年に一度の天…
ここは土曜日の夜遅くの東京の繁華街。微かに映る星空がどこか寂しげで美しく思えた。 先程まで賑やかだったライブ会場前にあたし一人。……そもそもなんでこんなことになったのか? 理由は簡単だ。『虹色ゴシップ』リーダーの陽川さんは母親である事務所社長…
あっという間の時間だった。終わってしまえばなんとでも言えるけど。 陽川さんも緑川さんも、幼い頃から子役として舞台の上に立つことはあったらしい。今日のライブ会場より大きなステージで、何度も本番の舞台を踏んでいたそうだ。だけどあたしにとっては初…
月が変わって七月となり、『虹色ゴシップ』デビューライブまで後一週間と迫ってきた。 七夕ライブとも称されたそのライブ会場は、千人ほど入るらしい。最初聞いたときは無名のアイドルグループのデビューライブで千人とか何言ってるんだろう?とは思った。が…
六月最終週の月曜日の朝。雲の晴れた高校の昇降口は、ややざわつく気配があった。 昨日は遅い時間まで『虹色ゴシップ』ファーストライブに向けたレッスンがあったので、体力的にややしんどい。月曜日からそんな調子でいいのかとか、高校生なんだから弱音を吐…
それは、六月下旬の放課後、雨上がりの午後のことだった。 ここ最近一週間ほどは毎日手に傘を持っていた。ようやく止んだ雨は、だけど今もこれ以上我慢できないほどの空模様の中で、しんしんとその時を待っているだけのようにも伺えた。 登下校にかかる時間…
女子高生アイドルユニット『虹色ゴシップ』のデビューライブまで、あと一ヶ月ほどと迫った六月の中旬。雨ばかりで、すっきりしない毎日が続いている。何がこんなにモヤっとした気持ちを造り出しているのだろう。あらゆることが起こりすぎてるせいで、曖昧な…
あたしは春から『虹色ゴシップ』というアイドルグループで活動を始めている。毎週金曜の夕方はメンバーが事務所に集まり、動画の生配信を行うことになっていた。 今日の配信も無事終了……と呼べるのだろうか。ペンネーム『タイジュ』を名乗る人物のメッセージ…
黒峰洋花は『百年に一度の天才女優』であると同時に、中学生以来のクラスメートだった。 かといえ、特段仲が良かったわけでもない。強いて言えば、仲の良い友達が多くない者同士、他の人より話す機会が若干多かった程度か。例えば修学旅行の班決めのときとか…
五月の夜。生温かい浜風が届く、横浜の繁華街の交差点。 私は深く帽子をかぶり、周囲の視線をもう一度確認した。 いつもは学校で着ているだけの制服。これは正直、邪魔なものでしかない。 私が普段どの学校へ通っているのか、正体を明かす記号でしかないもの…
彼女の名前は、黒峰洋花。中学の頃のクラスメイトで、いつも教室の窓際の席に座っていた。 もっとも、彼女の姿がそこにあったことはほとんどなかった。その席に彼女がいたかと思えば、気づくとそこからいなくなっている。まるで幽霊のような存在にも思えたほ…
ここは八景島と呼ばれるだだっ広い公園のような場所。夜に予約したレストランからも近く……はない。 何か特別なものがあるかと聞かれると、水族館とジェットコースターくらいなものか。だけどお金がないなど言われてしまうと、他に何をすればいいのだろうと思…
暦も六月に入り、だけど天気はまだ雨がたまに降るくらいで、梅雨入りしたという話も聞いてない。 月香は『最近雨降らないね』とご機嫌斜めだった。どうしてそれが不機嫌になる理由なのかと僕も頭を捻るしかないけど、そんな曇り空の帰り道に甘くない災難が降…
ここは僕の部屋。月香がうちに寝泊まりするようになってから、二週間が経った。 時間は五月下旬の夕方。下校中の帰り道はほんの僅かに小雨が降っていた。もうすぐ梅雨の季節がやってくると思うと、やや気が重くなる。だけど隣を歩いていた月香は『私は雨が大…
『虹色ゴシップ』専属プロモーション補佐係。それが僕と月香に任された仕事だった。 それは一体どこの学校の何を世話する生き物係だろうと思わないこともなかった。そもそも『虹色ゴシップ』ってなんだ!?ってところから始まり、デビュー前のアイドルグルー…
翌朝から、僕はその彼女を連れて、一緒に学校へ登校することになった。 彼女と言っても特に付き合ってるわけではないし、どちらかというと家と学校が同じだから別々に登校する理由がないという話だ。正直、僕は満面に咲き誇ってる花と一緒に歩いてるような気…
そもそも僕はどうして横浜にいたのだろう? 帰りの東海道線でなんとか思い出そうと試みるも、どうしても思い出せなかったんだ。何かがふわっと浮かんできて、またすぐにすっと消える感じ。それが二十分くらい繰り返されたところで、気づくと電車は自宅の最寄…
これがもう一つの時間が流れ始めた瞬間だった。 あまりにも一瞬の出来事で、本当に何が起きたのかわからなかったんだ。気がつくと僕の両腕に彼女の体重がずしりとのしかかっていて、徐々に痛みさえ伴ってくる。いや、彼女の身体が重いとかそんなことはなくて…
春の大型連休も終わり、坂道だらけのこの街にも若葉の香る空気が流れ込むようになった。瑞々しい五月の風が落ち込み気味だった私を勇気づけてくれる。そんな心地がある。正直、今年の桜の匂いは鬱陶しいほどに苦手だったから、ようやく季節が春らしく思えて…
「お兄ちゃんお腹空いた〜。ご飯ちょうだい!」 「…………」 無言。さっきからボクのことを全く相手にしてくれない。 まるでボクのこと見てはいけない幽霊か何かと勘違いしてるよう。確かにそれに近い何かではあるけど、でもボクを見たところで命も魂も抜かれる…