小説
女子高生アイドルユニット『虹色ゴシップ』のデビューライブまで、あと一ヶ月ほどと迫った六月の中旬。雨ばかりで、すっきりしない毎日が続いている。何がこんなにモヤっとした気持ちを造り出しているのだろう。あらゆることが起こりすぎてるせいで、曖昧な…
あたしは春から『虹色ゴシップ』というアイドルグループで活動を始めている。毎週金曜の夕方はメンバーが事務所に集まり、動画の生配信を行うことになっていた。 今日の配信も無事終了……と呼べるのだろうか。ペンネーム『タイジュ』を名乗る人物のメッセージ…
黒峰洋花は『百年に一度の天才女優』であると同時に、中学生以来のクラスメートだった。 かといえ、特段仲が良かったわけでもない。強いて言えば、仲の良い友達が多くない者同士、他の人より話す機会が若干多かった程度か。例えば修学旅行の班決めのときとか…
五月の夜。生温かい浜風が届く、横浜の繁華街の交差点。 私は深く帽子をかぶり、周囲の視線をもう一度確認した。 いつもは学校で着ているだけの制服。これは正直、邪魔なものでしかない。 私が普段どの学校へ通っているのか、正体を明かす記号でしかないもの…
彼女の名前は、黒峰洋花。中学の頃のクラスメイトで、いつも教室の窓際の席に座っていた。 もっとも、彼女の姿がそこにあったことはほとんどなかった。その席に彼女がいたかと思えば、気づくとそこからいなくなっている。まるで幽霊のような存在にも思えたほ…
ここは八景島と呼ばれるだだっ広い公園のような場所。夜に予約したレストランからも近く……はない。 何か特別なものがあるかと聞かれると、水族館とジェットコースターくらいなものか。だけどお金がないなど言われてしまうと、他に何をすればいいのだろうと思…
暦も六月に入り、だけど天気はまだ雨がたまに降るくらいで、梅雨入りしたという話も聞いてない。 月香は『最近雨降らないね』とご機嫌斜めだった。どうしてそれが不機嫌になる理由なのかと僕も頭を捻るしかないけど、そんな曇り空の帰り道に甘くない災難が降…
ここは僕の部屋。月香がうちに寝泊まりするようになってから、二週間が経った。 時間は五月下旬の夕方。下校中の帰り道はほんの僅かに小雨が降っていた。もうすぐ梅雨の季節がやってくると思うと、やや気が重くなる。だけど隣を歩いていた月香は『私は雨が大…
『虹色ゴシップ』専属プロモーション補佐係。それが僕と月香に任された仕事だった。 それは一体どこの学校の何を世話する生き物係だろうと思わないこともなかった。そもそも『虹色ゴシップ』ってなんだ!?ってところから始まり、デビュー前のアイドルグルー…
翌朝から、僕はその彼女を連れて、一緒に学校へ登校することになった。 彼女と言っても特に付き合ってるわけではないし、どちらかというと家と学校が同じだから別々に登校する理由がないという話だ。正直、僕は満面に咲き誇ってる花と一緒に歩いてるような気…
そもそも僕はどうして横浜にいたのだろう? 帰りの東海道線でなんとか思い出そうと試みるも、どうしても思い出せなかったんだ。何かがふわっと浮かんできて、またすぐにすっと消える感じ。それが二十分くらい繰り返されたところで、気づくと電車は自宅の最寄…
これがもう一つの時間が流れ始めた瞬間だった。 あまりにも一瞬の出来事で、本当に何が起きたのかわからなかったんだ。気がつくと僕の両腕に彼女の体重がずしりとのしかかっていて、徐々に痛みさえ伴ってくる。いや、彼女の身体が重いとかそんなことはなくて…
春の大型連休も終わり、坂道だらけのこの街にも若葉の香る空気が流れ込むようになった。瑞々しい五月の風が落ち込み気味だった私を勇気づけてくれる。そんな心地がある。正直、今年の桜の匂いは鬱陶しいほどに苦手だったから、ようやく季節が春らしく思えて…
「お兄ちゃんお腹空いた〜。ご飯ちょうだい!」 「…………」 無言。さっきからボクのことを全く相手にしてくれない。 まるでボクのこと見てはいけない幽霊か何かと勘違いしてるよう。確かにそれに近い何かではあるけど、でもボクを見たところで命も魂も抜かれる…
夜空はまだ厚い雲に覆われているけど、ところどころ雲の隙間から星が煌いている。 芸能事務所『カスポル』の建物の三階は居住区になっていて、両親と私、そして隼斗がここに暮らしている。もちろん私と隼斗の部屋は別々で、だけど私が隼斗の部屋に無断で侵入…
「なぁ。お前は何者なんだ? なんで俺の妹の名前を……」 「ボクにだってわからないことを、お兄ちゃんに答えられるわけないじゃん」 寮へ戻ると、ボクたちを待ち構えていた風のお兄ちゃんに間もなく捕まってしまう。もっとも呼び止められたのは美少年系美少女…
外へ出ると、冷たさの元凶でもあった雨の音はすっかり止んでいた。 あいつがアイドルデビューするという件は、緑川が『やりたくない』と拒絶したことにより、一旦保留が決定する。すると星乃宮楓と名乗っていた彼女は、忽然と姿を消してしまった。まるで幽霊…
そそくさと帰ってしまったお兄ちゃんの顔は、やはり機嫌を損ねたままのように見えた。 だけどボクだってこの状況を理解できてないんだ。ボクの正体を問われたところで、そんなの返せるわけがない。わかっていることは、お兄ちゃんが生を受けたのと同時に、ボ…
「先方とも話はついてるって、わたし何も聞いてないのですけど?」 碧ちゃんの話であるのに、一番驚いていたのは碧ちゃん自身だった。確かに碧ちゃんの口からアイドルの話などイチミリも出てきてなかったわけだから、本当に初耳だったのかもしれない。「うち…
ここは、とある高層ビルの最上階。狭い廊下に設置された窓からは、紅い夕日が眩しく差し込んでいた。久しぶりにビルの影に囲まれた都心の街へやってくると、圧倒的な世界の広さというものを思い知らされる。 ……あ、ボクが以前いつ東京にやってきたのかって話…
「隼斗は私がアイドルになることを後押しするんだ。随分と変わり身が早いのね?」 「別にそうは言ってない」 もやもやする。ずっとこれの繰り返し。何が言いたいのかさっぱりわからない。「さっきからそう言ってるじゃない! この話に関係のない碧ちゃんまで…
『私も役者を辞める。だけど芸能界は辞めない。私はアイドルになるよ』 愕然。言葉で表現するなら、恐らくこれに近いだろう。 矛盾。だってそうだろ。ストーカー被害に遭ってたくせに、どうしてアイドルなんかになるんだって。 憤慨。だが誰に対して怒ってい…
彼が飛び出していった玄関には、夕方から降り続く雨の音と、一本の傘が残されていた。 今頃彼はずぶ濡れで、坂道の多いこの小さな街を彷徨っていることだろう。 なぜこんなことになってしまったのだろう。 事件があったあの日から、彼と私の時計はくるくる狂…
昨夜は静かな雨だった。雨の雫がこびりつき、ピンク色の花弁は僅かに光り輝いていた。 同時に雫の重みのせいで、儚く散るその日も少し早まってしまったかもしれない。 ……いや、そんなの愚問だ。所詮は生まれた時から決められた運命でしかないのだから。 薄水…
江ノ島と対峙した西浜と呼ばれる小さな海岸。夏には多くの海水浴客が集うこの場所も、今は至って静かな場所だ。近くも遠そうにも見える江ノ島の灯台には、その隣を紅い夕日が沈みかけていた。 そんな風景の片隅に、ぼんやり一人の少女が立ち竦めている。白い…
「へぇ〜。あの漫画、ついにアニメ化されるんだ」 「うん。だけどこれまだ非公開情報だから他の人へ言っちゃダメだよ?」 弁天橋から海を渡り、お土産売り場が並ぶ賑やかな参道を過ぎると、いよいよ本格的な階段登りになる。体力に自信のない人間の方々はす…
今日一番の目的地は、江ノ島の対岸にある水族館だ。俺らは館内を散策した後、水族館の終点となる売店に辿り着く。にしても気づけば上杉は俺から微妙な距離を取りつづけているし、今日の江ノ島探索の目的が親睦交流だとしたならば、本当に成功と呼べるのか、…
緑色の古めかしい電車はどこか懐かしい音を立てながら、江ノ島駅へと辿り着いた。 学生寮の最寄り駅からは十分ほど。『江ノ島』と冠した駅名のくせに、実際に島へ辿り着くには歩いてさらに十五分ほどかかる。これだと何も知らない無邪気な子供たちには、『嘘…
幸いなことに、わたしがシャワーを浴び終わるまで、脱衣所の内鍵はずっとかかったままだった。透と大樹くんはリビングにいて、ネットで調べごとをしていたから当然のこと。恐らくわたしの裸には一切興味なかったのだろう。二人は互いに画面と向き合ったまま…
「だ、だからごめんって。てかなんで風呂場の内鍵をかけておかなかったんだよ」 「かけたもん! ちゃんと鍵かけてたはずなのに、なんで勝手に開けるのよ!!」 男子寮二号館、八九七号室。運悪く唯一の男子住民である大樹くんは、共同生活初日から覗きの嫌疑…