唯菜へ
ほんといつもこの書き出しとか、今思うとどこか不思議な感じがするね。
私たちは学校でも会ってるはずなのに、改まり過ぎっていうか、ね。
だけどこんな感じで唯菜と交換日記を書き続けていられるのは、私も楽しいと思ってるよ。
これからもよろしくね。
詩音から届く交換日記は、いつも唐突なペースだ。
頻度は半月に一回か、早い時は週一ペースになることもある。わたしが気づかないうちに教室の机の中にこっそり隠されていて、教科書の中にいつの間にか混ざっていたそれを、わたしは無意識のうちに鞄の中へ仕舞うのだ。せめてチャットで一言連絡くれればいいのに、それすらしてこない。
詩音は間違えなく楽しんでやってる。どこかいたずら好きで、見た目以上に子供っぽいんだよね。
そういえば前の日記にも書いてあったけど、唯菜は好きな人とか本当にいないの?
だって毎日あの「えんむすび」を食べられるわけでしょ?
それなのに恋が実らないとか、詐欺商品とか言われちゃうかもしれないよ(笑)
彼氏持ちの先輩として言わせてもらうと、唯菜もちゃんと好きな人を作ってほしいけどな。
……なんだろ、このもやもやする気持ち。あぁわかった。余計なお世話ってやつだ。
別に『えんむすび』はうちのおむすび屋の看板商品ではあるけど、そもそもわたしが作ってるわけじゃないし、毎日食べてるわけでもない。レシピだって丸く型どったおむすびの中に、たらこと昆布が入っているだけ。それなら誰でも作れるじゃんと思うけど、そんな『えんむすび』が騒がれているのはうちのすぐ近所にある氏神神社のせい。神社の娘の美来ちゃんが、女子中学生ならではの企画書をわたしの家に届けてくれたのだ。見た目こそ華やかな企画書で、だけどその中身はコンセプトやターゲットまで、売るための要素が抜けなく書かれていた。恐らくわたしだってあそこまでの企画書を書けやしないだろう。
だけど一つだけ、疑問もあったんだ。どうして美来ちゃんが『えんむすび』なんて思いついたのだろうって。というのも美来ちゃんは普段から兄にべったりな感じだし、恋愛という単語がどうしても結びつかなかったから。まぁそれも余計なお世話かもしれないけどね。
彼氏がいて、辛いと思う時もあるよ。けど、もちろん楽しいかな。
ずっと話してたら時間が経つのも忘れられて、優しく甘えられる。ずっと一緒なんだって。
唯菜だって誰かを好きになれば、きっと今より優しくなれると思うんだけどな。
恋をすることで自分が優しくなる? そうなのかな……?
その相手が誰かなのもわからないし、詩音の言ってることは本当にわからないことだらけだ。詩音を傍から見ていると、優しくなったというのはそうかもしれないし、だけど何かがそうじゃない気もしている。
とはいえわたしが盲目なだけかもしれない。そんな相手、今のわたしにいるはずないのだから。
たとえばそうだな〜。長谷くんとかどう?
彼、いい人そうだし、唯菜ともお似合いだと思うんだけどな。
ごめん。本当に何言ってるのかよくわからないよ詩音!!
というより、どうして唯菜が長谷くんと喧嘩ばかりなのか、理由がよくわからないんだよね。
昔から知ってる幼馴染なんだし、中学からクラスが一緒のことも多いでしょ?
私は長谷くんと同じクラスになったことないけど、結構頼りになるって話もよく聞くよ。
話にもユーモアがあって、ずっと彼の声を聞いていても飽きなそうな気がするけど。
そういう問題じゃない! あいつのずさんな性格は誰よりもわたしが知ってる。とにかくめんどくさがりで、他人の面倒に巻き込まれないよう他人と距離を取ってるだけ。それはあいつが巻き込まれ体質だからその対策だってのもわかるけど、そのせいでわたしの方へ飛び火が来るのはまっぴらごめんだ。
話にユーモアがある? ないよそんなの。わたしを怒らせるようなことしか言ってこない。ちょっとばかし賢くてムカつくけど、でも賢さで言ったら妹の美来ちゃんの方がよほど賢いし。
というよりなんで詩音までわたしとあいつをくっつけたがるの? 詩音、あいつと接点ないよね?
ふふっ。これ読んで発狂してる唯菜の顔が目に浮かぶなぁ。
本当にそういうところが可愛いんだから。
わたしは慌てて辺りを見渡す。ひょっとしてこの部屋のどこかに隠しカメラでもついてたりする?
そもそも可愛いって何? 怒った顔が可愛いとかそれはそれで心外なんだけど。
まぁあまり唯菜をからかうのもよくないので、ここでひとつ、先輩からアドバイスをあげるね。
今まで私の恋バナなんてしてこなったし、そもそも誰が相手かも教えてないもんね。
だけどなんとなく、もうその時期を越えてしまったかなって思ってるんだ。
だから恋愛の先輩として、私から唯菜に伝えておくべきことを書いておこうと思うんだ。
先輩からのアドバイス……? そもそも越えてしまったっていうのはどういう意味なんだろう。詩音はたまにこうやって言葉を濁し、隠してくる。そんな秘密主義が詩音をミステリアスに仕立て上げて、またわたしの心をざわつかせるんだ。
私はね。恋愛って、怖いものだと思うの。
互いの気持ちを告白するまでが大変で、だけど告白した後もそれで終わりじゃなくて。
私の場合はね、実る前よりも、実った後の方が怖くなってしまったんだ。
それは、私一人の話から、私たち二人の話になってしまったから。
片想いの頃は、自分一人で悩んで、自分一人が傷つくだけでよかったから。
もちろん一人だけで思い悩むのも怖いのは当然だよ。
でも二人になった途端、その恐怖が二倍になる。
彼が傷つけば私も傷つくし、私が傷つけば彼も傷つく。
もちろん楽しい時間だって、同じように二倍になるはずなんだけどね。
……そのはずなんだけどな。
んん。このアドバイス、思ってたそれよりだいぶ重いんですけど。
わたしには想像もつかなくて、そりゃ経験ないんだから当然ではあるけど。ただ最近どこか遠くで詩音が泣き叫んでいるような、ずっとどこか冷たい顔を見せていた理由もわかった気がした。
そもそも詩音にとってのこの恋愛って……。
私は彼のどこがよかったのだろう。今思い返しても、その答えは出てこないんだ。
瞳が真っ直ぐで、その視線の先に距離の近さを感じた。それだけかもしれない。
なんだか抽象的だよね。でもなんとなく、彼も同じように答える気がする。
だからうまくいかないんじゃないかなって、そう聞かれたら返す言葉もないかも。
それでも私は彼のことが好き。きっと彼も私のことが好き。
それだけは変わらない。変わりたくない。変えちゃいけない。
だから私は……、ね
……あれ? 詩音の手紙はここでほぼ終わっていた。
どこか尻切れとんぼで、けど最後にこんな一言が添えてあるだけ。
唯奈の恋が実ることも、同時に願ってます。
詩音は何かをわたしに伝えかけて、途中で諦めたような、そんな文末だった。そのせいだろうか、同時に願ってくれたわたしへの恋のエールも、熱く胸の中へと届いてくる。詩音の恋が幸せそのものではないということ。ひたすらに酸っぱい梅のようでじわじわ口の中に染み込み、やがて何もなかったように消えていく。
恋愛って、わたしが考えているほど、優しいものではないのかもしれない。
そもそも恋愛なんて、わたしにできるのだろうか。
誰かと一緒に歩いて、躓いて、悩んで、怒って、喧嘩して、そして……。
……ふと、目を瞑る。忽然とあいつの後ろ姿が脳裏に浮かび上がってきた。
あいつの隣を歩いてるのは、何故か詩音だ。二人は楽しそうに笑い、前へ向かって歩いている。いつもわたしの傍にいるはずの二人なのに、そこにあるのは、わたしの知らない世界、知らない顔。
わたしは追いていかれた気分になる。
気がつくと『いかないで』って、心の中で叫んでいた。
再び目を開く。目の前には詩音から届いた交換日記。それがここにあるだけ。
フラッシュバックのように映り、消えていった残像は、そのまま幻のように消えていた。