「おっ、今日も兄妹でデートかい? 本当に仲がいいねぇ〜」
日曜日の朝。俺らは初老の女性にふと声をかけられた。神社にもよく顔を見せる氏子さんの方だ。
「はい。これから隣の駅まで少しお買い物です」
そう答えたのは妹の美来。しゃなりしゃなりと繕う様は、年齢が俺のひとつ下とは思えないほど。
「妹さんがこんなに美人になられて、お兄さんも悪い男が近寄ってこないか気が気でないでしょ?」
「大丈夫ですよ。私はお兄さま一筋ですので、お兄さまの心配には及びません」
「あら素敵。すっかりお兄さん大好きっ子になられたのね。これなら氏神様も安泰じゃ」
……おい。なんだか話が別の方向へすっ飛んでいったように思えたんだが。まぁいつものことか。
ふぉっふぉっふぉっと高笑いをするお婆さんを横目に、俺と美来は律儀な会釈を返す。改めて前を向いた俺らは、再び駅の方へと歩きだしていた。
「まるで美来がブラコンみたいな設定になってると思うんだが、それでいいのか?」
「それでいいんだよ。兄妹喧嘩して余計な邪推されるより、こっちの方が面倒なくていいっしょ」
「面倒とかの問題なのか……?」
まぁ美来がそれでいいと言うのなら特に何も言う気はないのだが。
「それにお兄だって……氏神さんちの跡継ぎがどうとか噂されるの、嫌じゃん?」
「ま、まぁ……」
「だからあたしがこうしてお兄にべったりしておけば、御町内の安全安心繁栄に繋がるのだよ!」
「のどかで平和なもんだな、この町って」
美来は人目がある時は俺を『お兄さま』と呼び、ない時は『お兄』と呼んでくる。それどころか自分の一人称さえ器用に変えてしまう。昔から頭の回転はかなり早く、成績だって常に学年トップ。それならもっと偏差値の高い高校に通えるのではと思うのだが、『絶対お兄と同じ高校に通う!』と一点張りだった。まぁそれで家族しいては御町内の平和まで守られてるというのだから、実際それは安い願望なのかもしれない。
もっとも、俺の父親が美来の母親と再婚するまではこうではなかったのだ。
理由は、小さい頃の俺。町内には内密にして、俺は私立の小学校受験を受けた。結果は不合格。
それからが大変だった。失望した俺の実の母親はやがてヒステリーへと化してしまい、父親としょっちゅう喧嘩するようになってしまう。今思うと母親も精神的にかなり厳しかったのだと思う。氏神様のお嫁さんということで周囲の目も常に気にしてたようだし、最終的には俺の両親は離婚してしまった。すると俺が小学校受験に失敗したという噂が外に出てしまったのも時間の問題だった。『氏神様は大丈夫なのか?』という声があちこちから飛んできて、確かにあの頃の町は平和とは思えなかった。繰り返すが全ては俺のせい。
美来が義妹になったのはそんな頃だった。父は俺に詳しい話をしないけど、町内の噂話をまとめると当時の自治会長さんがその頃の状況を見かねて、父に美来の母親との再婚を提案したらしい。美来の母親はどこかの貴族の御令嬢だった人らしく、前の夫だった人には先立たれてしまった後だったとか。なるほど。美来が俺なんかよりもずっと冷静で賢くいられるのは、そんな貴族の血を引いてるからなのだろうって、子供ながらにそう考えることもあった。
「でもだからこそ許せないんですよぉ〜。そんなお兄を横から掻っ攫おうとする泥棒猫が!!」
「おい。ちなみにその泥棒猫って誰のことを言ってるのか念のため聞いていいか?」
なお、美来とあいつとの関係はご覧の通り。どういうわけか仲が悪いらしい。
「だってこんなお兄の彼女だって言い張るんだよ? 胡散臭さここに極まれりじゃん!」
「それどう考えても俺もついでにディスってるよな?」
俺と美来は改札をくぐって、青帯の電車に乗り込んだ。と言っても電車でたったの一駅だから、数分で目的地の駅にたどり着いてしまう。
「それで唯っちの店の商品企画まで手伝っちゃって、すっかり良妻気取りとか完全にいけ好かないやつでしょ」
「さらにツッコむと、雨田の店がどうとか俺の彼女がどうとかは一切関係ないと思うのだが」
「関係大ありっ! お兄と唯っちは幼馴染なんだから、もう家族同然じゃんか」
「一体どこのラノベ世界の幼馴染推しだ!? そんな法律、世界中どこ探し回っても存在しないからな」
なお、藍海ちゃんに倣ったのか、美来も雨田のことは『唯っち』と呼んでいる。こちらの方はそれなりに仲がいいらしく、まぁ俺にとってはやはり面倒くさいの一言なのだが。
「というかなんで雨田のことは悪く言わずに、海老名の方はそこまで悪く言うんだ?」
「そこじゃん! そういうところが許せないんだよ!!」
「そういうとこってどういうとこだよ!?」
すると美来の切れ味鋭い視線が、小声と共に俺の方へ向かって飛んでくる。
「なんでお兄はあの泥棒猫のこと、いつまで経っても『海老名』とか苗字呼びなの?」
車窓から溢れてくる冬の陽の光と混ざり合い、美来の瞳の奥にはどこか幻想に似た何かを見た気がした。
青帯の電車は間もなく減速を開始する。俺らの目的地である次の駅へ到着しかけていた。
「つまりお兄にとっては、幼馴染も彼女も同列ってことだよね?」
「それは違うんじゃあ……」
「何がどう違うん? 付き合い始めてもう九ヶ月だよ? なのにまだ苗字呼びとかありえなくない?」
「…………」
本当に返す言葉が見つからなかった。言われなくてもわかってるからこそ。
……ああ。やはり俺とあいつの関係を知ってる人なら、当然不自然であることが外から見てわかってしまうのだ。そういえば前に藍海ちゃんも言ってたもんな。『あの子にあんな顔ばかりさせてたら可愛い顔がもったいない』と。あいつの担任として、藍海ちゃんは俺だけでなく、あいつのこともちゃんと見ていてくれてるのかもしれない。
「だ、か、ら! そういうとこだって言ってるの!」
止まりかけた電車の中で、静かな美来の声は一段と語気を強めている。
「お兄にそんな顔をさせてる泥棒猫が、あたしは絶っ対に許せないんだから!」
「っ……」
もしかして、美来があいつのことを嫌いなのは俺のせいでもあるのか……?
「そうそう。そうやってお兄は全部一人で背負い込んで、そんな風に下を向かせてるあの泥棒猫が許せないんだって言ってるの! 泥棒猫なら泥棒猫らしく、お兄をしっかり掻っ攫ってほしいんですけど!!」
「……今、俺の心の中を読んだ!?」
「だってお兄って顔に出やすいもん。そもそも何年あたしはお兄の妹やってると思ってるの?」
得意げな義妹の顔ももう既に慣れっこで、いつもどおりの定刻に停車する青帯の電車は、俺の胸の内側まで停止させようとするんだ。
改札を出て駅の外へ出てみると、途端に俺らはビルに囲まれてしまう。うちの周りもそれなりに栄えた駅前商店街ではあるけど、ここはさらに栄えている。大手家電量販店や昔ながらのデパートなどが建ち並び、ここに来ればとりあえず欲しい物は揃えられる。強いて言うなら、映画館がないくらいか。俺が生まれる前には小さな映画館が地下にあったらしいけど、今はそんな昔ながらの面影を捉えることはできない。
「それよりお兄はさ、幼馴染ヒロインとか興味ないわけ?」
「幼馴染って、そもそも誰のこと指してるんだ?」
なお、美来と俺が真っ先に向かったのはアニメグッズショップだ。無論、本日の主目的であり、その主目的を作り出したのは俺ではなく美来の方。今週発売したばかりのラノベを買おうと、美来は前もって予約していたらしい。当然のごとく店舗限定特典付きだ。
「一般論だよ〜。こんな風に可愛い女子に囲まれる冴えない男子って、なかなか萌えるじゃん!」
「そもそも幼馴染が可愛いとは限らないだろ。ラノベの世界と現実を紐付けるな」
目の前には十人の幼馴染ヒロインの視線に囲まれた男子主人公のポスターが堂々と掲げられている。美来は驚嘆の顔でそのポスターに見惚れているようだが、そもそも十人の幼馴染ってどういう設定だ!? 十人の刺客とかじゃあるまいし。
「唯っちって十分可愛いじゃんか〜。あんなに優秀な幼馴染ヒロイン設定なかなかないっしょ?」
「設定とか言うなし。そもそもあれのどこが優秀なんだ?」
ついでに俺の幼馴染はすなわち雨田という設定もどうなんだろう?
「優秀でしょ? 何よりチョロくて扱いやすい! それでいてツンデレとかキャラ立ちすぎでしょ!」
「お前それ絶対ディスってるよな俺の聞き間違えなんかじゃねーよな」
「少なくとも無駄に賢いだけの詩音姉さんよりは十分可愛いよ?」
「賢いだけってどういう意味だ?」
「あんだけ賢いくせにお兄とはうまくいかない。両想いのくせにちょっとちゃんとやってください〜って」
「…………」
「それにひきかえ、唯っちならしっかりツンデレキャラという王道を抑えてるじゃん?」
「俺はまだあいつのツンの顔しか見たことないけどな」
「最初からデレてたらダメっしょ。もちろんこれからデレるんだよ、きっと」
もちろんなのかきっとなのか、こんなところで曖昧な言葉を並べないでほしい。
「そもそもありえないただの憶測みたいな設定はどこから来るんだ?」
「おうおう。ありえないって言うんなら賭けてもいいよ。絶対唯っちはこの先お兄に惚れる!」
「無駄に自信満々なの真面目に怖いんだけど」
というかそれはさすがにないだろ。……と口に出した途端フラグになる気配を感じてここで思い留まる。
「てゆか唯っちも詩音姉さんも可愛いとこだけは確かに認める。でもそれならお兄はどうして唯っちじゃなくて詩音姉さんを選んでるのかな〜?」
「それは……」
なぜ?と聞かれたところで、言葉に詰まる。そもそもこの世に好きな人の好きになった理由を答えられる人なんてどれほどいるのだろう。少なくとも俺は即答できるほどの自信はない。
「……なんとなくよかった。それで話をしてみたら互いに両想いだった。それだけ」
小っ恥ずかしくなる。自分で言ってて何を口走っているのだろうって。
美来の方も俺の顔をまじまじと見張ってくるけど、俺はすっと目を逸らしてしまった。するとその目線の先には、萌えという単語で埋め尽くされた妹系キャラのクリアファイルがずらりと並んでいた。普段なら幼馴染キャラのそれより安定の安心感があるはずが、今はどうしてかこっちの方がやりにくい。
「ふむ。なるほど。つまりお兄は唯っちから浮気がしたかったと?」
「そもそも俺が雨田のことを好きになった記憶なんて一ミリもないのだが」
美来は浮気の言葉の意味を本当に知ってるのか? 俺は店舗に並んでいた妹系キャラのクリアファイルと幼馴染キャラのクリアファイルを見比べながら、その本意を探ろうとする。でもラノベの世界なら大抵は妹系も幼馴染も負けヒロインのことの方が比較的多くて、それ以外の彼女が本命って話の方が多いと思うのだけどな。……そのはずなんだけど。
「まぁ唯っちで納得できないんならあたしを選んでくれてもいいよ。仮にもあたしは義妹なんだし」
「大丈夫だ安心しろ。それだけは絶対にありえないから」
「それだけとか絶対とか何気に傷つくんですけど〜。ま、あたしもお兄のこと男としては見たことないけどな」
「お前も大概に容赦ないな」
「お互いにな」
くすくす笑う美来の顔に、でもなんとなく俺をそういう対象で見たことないという点に偽りがないことはわかってしまう。互いの距離が近すぎるのか、俺自身も美来を女性として見たことはない。そういう複雑な関係を築くよりは、今の距離感の方が何もかもがうまくいく。俺と美来のこの関係が続くことで、御町内とやらに安全安心平和がもたらされる。それ以上でもそれ以下でもない。
複雑な関係……? つまり、俺とあいつはそうだってことか。
本来であれば一番近くにいるはずが、近くにいればいるほど遠くに感じる。これが複雑の正体。
本当に一体、なんなんだろうな。