しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

氏神さんちのおむすび日記  011『浜辺と本音』

 わたしは気づくと、逆方向の江ノ電に乗ってしまっていた。
 我ながら何してるのだろうと揺れる車内で何度も疑問に思った。彼はまるでわたしのことなど気づくこともなく、どこかそわそわしている。たまにスマホを見ては溜息をついてる様子がどうしても引っかかる。誰かからのメッセージが書かれてあるのだろうか? なんであんなに溜息ついてるの? そもそも、誰からのメッセージなのだろう?
 それらの疑問の全ては、江ノ島駅と到着とすぐにわかってしまった。

 その瞬間、ふと彼女と目が合った気がした。彼ではなく彼女の方。彼の方は相変わらずで、わたしに気づくどころか、まるで余裕がないように思えた。その余裕を失わせているのは彼女の方なのだろうか。わたしは彼のことも彼女のことも、よく知っているつもりだ。まさかとは思ったけど、わたしの胸をざわめかせていた予感が真実だったことを知り、ちくりと痛いものが走る。そもそもこの痛みは何だろう。これって正直、わたしらしくない。
 そんなわたしを嘲笑うかのように、彼女の視線はわたしを無視する。まるでわたしの存在なんて最初から気づかなかったかのよう。でもそれが彼女の性格だってことも、残念ながらわたしは知っている。いたずら好きで、頑固者。根っこの部分は寂しがり屋のくせに、だからこそ彼と二人で歩いていることを頭の中で想像しても、何も否定できなかったのだ。
 彼と彼女は似たもの同士。そんなの、この世で誰よりわたしが一番気がついてる。

 二人は並んで歩き、小さな商店街を抜けて、やがて江ノ島の海岸に辿り着く。てっきり江ノ島の方へ向かうかと思いきや、二人は江ノ電江ノ島駅から一番離れた西浜海岸の方へと歩いていた。ここは、とあるアニメのエンドロールで観たことのある景色だ。左隅に江ノ島が見え、正面には黄金色の海。右側には長く続く湘南海岸から小田原方面、そして伊豆半島までも一望できる場所。今日は雲で隠れて見えないけど、その背後に富士山が見えることもあるらしい。百八十度広がる、大パノラマ。
 どこか幻のように映る夕暮れの景色の中に、彼と彼女の姿も埋もれていた。風と波の音が邪魔をして、二人が何を話しているのかなんてわからない。ただぼんやり、二人と砂浜に打ち付けるさざ波を見比べるだけ。本当にわたしは何をしたいのだろう。
 やがて二人は波打ち際から離れ、わたしの座っていた階段の方へ歩いてきた。わたしの存在など気づくはずもなく、ずっと遥か遠方に腰掛ける二人。彼女は手に持っていた紙の包みを開き、中に入っていた串団子を分けあい、二人で食べ始めた。てかそれ、わたしも食べたかったやつだ。

 どれだけ時間が流れたのだろう。二人を眺めていると、わたしも当然お腹空いてきてしまった。
 帰ろうか。どうせあの二人は一緒に仲良く帰るのだろうし、わたしがここにいる理由もまるでわからない。二人に気づかれる前に、わたしはこの場から立ち去ろう。溜息が漏れる。これじゃさっきまでの彼みたいだ。なんだかすっごくおかしい。
 ところが予想外のことが起きたのはその時だったんだ。彼女はその場に残り、彼の方だけわたしより先に、駅の方へと向かってしまう。訳のわからないままその場で黙ってみていると、彼女はあっという間にわたしの目の前にいた。
「人の密会を盗み見るなんて趣味が良くないなぁ〜」

 いたずらっぽく笑う彼女の顔はよく知る彼女のそれで、わたしはただただきょとんと彼女の視線をぼんやり追いかけていた。


「どうして……」
 二人は一緒にいたの? と言いかけたのに、わたしはそれを最後まで言葉にできなかった。
「私に付きまとうストーカーを撃退してただけだけど」
 ストーカー? 詩音はにやっと笑いながら、わたしをからかいに来ていた。ただそのせいでその笑みの残念な理由にも気がついてしまう。ちょっと待って。それってわたしのことを言ってる!?
「わたし、もしかして邪魔だった?」
「なんで? ずっとここで黙って見てただけでしょ。邪魔なんて全くしてないじゃん」
「黙って見てただけ……」
 言葉の一つ一つに棘がある。今日の詩音は、完全にわたしの敵のようだ。

「ねぇ。唯菜」
「な、なによ……」
「そんな警戒心ばかり向けられても、私困っちゃんだけどなぁ〜」
「…………」
 どの口がそれを言うか。完全に詩音の自業自得というやつだ。
「それよりさ。私が屋上で『交換日記を書こうよ』って提案した時のこと、覚えてる?」
「う、うん」
 わたしを再び一瞥した詩音は、ぷいと顔を反らして、橙色の大空を高く見上げた。時が薄い雲の間を流れていき、波音が記憶の狭間を埋めていく。詩音の顔はからかうのを中断して、あの頃一緒に眺めていた学校の屋上の空を思い浮かべていた。
「私ね。あの屋上が大好きだった」
 まだ互いに中学生で、学校の屋上も決して誰もが入っていい場所でもなかった。常に鍵がかかっていたし、だけど一部の生徒の間ではその壊れた鍵の開け方について知られていたらしい。それはわたし然り、詩音然り。ちなみにわたしの場合はあいつにこっそり教えてもらっていた。てことはわたしと詩音が屋上で会っていたように、あいつも詩音と屋上で会っていたのかもしれない。……ふふっ。だからって今更どうというわけでもない。
「嫌なこと全部青い空が持って行ってくれる、あの屋上が大好きだったんだ」
「嫌なこと? 詩音ってそういう悩みとかあまりなさそうに見えたけど」
「あるよもちろん。だって人間だもん」
「……そっか」
 人間誰もが嫌なこと、悩みを抱えて生きている。いつも笑ってばかりの詩音だって、当然例外ではない。それはそうだ。
「私はね、一人になることがものすごく怖いんだ」
 どんなに顔は笑っていたって、胸の奥底では泣いてるかもしれない。一人が怖いと呟く詩音は、だからこそ誰かを必要としているのだろう。
「だから唯菜と日記を綴ってきたし、例の彼を必要としてきた」
「それって、話が繋がってる?」
 もしかしてその彼というのがあいつだから、わたしと日記を書こうとした?
「さぁ、どうだろ?」
 いつものように笑ってごまかす詩音は、その顔を砂浜に打ち付ける波の中へと埋もらせてしまう。
「唯菜は、長谷くんといつも仲良さそうで、すっごく羨ましく思ってた」
「このタイミングでそんなこと言うんだ!?」
「いつも喧嘩ばかりで、夫婦かよって思うくらいに本音をぶつけ合っててさ」
「ごめんやっぱし言ってる意味がよくわからないよ詩音」
「でも、屋上で寂しそうにしてる彼を放っておけなかったのは事実でしょ? 一人でいる彼のそばに近寄って、『どうしたの?』っていつも声をかけてた」
「それは……あいつは幼馴染だし、美来ちゃんにも『兄を頼みます』とかいつも言われてたし?」
「そんな幼馴染なんて言葉で逃げるんだぁ〜。ずるいなぁ〜唯菜は」
「ちょっと待って。やっぱしなにか誤解してない!??」
「でも私は美来ちゃんに嫌われてるしね。『えんむすび』のことだってあるのに、どうしてもあの子は私に振り向いてくれないんだ」
「てゆか、詩音って美来ちゃんにも会ったことあるの?」
 それ以前に『えんむすび』のことって何のことだろう? それってうちの看板商品のことで合ってるよね? だけど詩音はくすくす笑うばかりで、真面目に回答する気はないようだ。薄橙色に染まる詩音の笑みは、儚く今にも消えてしまいそうで。

「詩音は、長谷くんのことが好きなの?」
「それを聞くってことは、やっぱし唯菜は隆史のことが好きなんだ?」
 聞き返されると同時に、胸の鼓動が急に熱く、早くなったとを感じる。今詩音は、あいつのことをなんて呼んだ? それはもう肯定とかいうレベルをとっくに飛び越えて、逆にわたしの方が焦ってしまう。いつもだったら曖昧に誤魔化してくるくせに。そう、詩音の今の顔のように、風に舞う砂塵がモザイクのように大切な部分だけを隠して、偽りだらけの詩音を創り出してくるはずなのに。
「わたしは、長谷くんのことが好きなのかもしれない」
「なにその回答。曖昧だなぁ〜」
「それは詩音の方でしょ!??」
 わたしは泣きたいくらいに正直な回答をしたつもりだった。それをこんな風に返されてしまうのは心外だ。本気で泣きそうになってくる。だって、いつも曖昧なのは詩音の方なのに、それをわたしにだけ求めてくるのはやっぱし違うよね?
「だって、唯菜が本当に隆史のことが好きなら、私がどうとか関係ないんじゃないかな」
「…………」
 二度目。詩音はあいつのことを名前呼びしてる。幼馴染のわたしだって、そんな呼び方したことないのに。それなのに関係ないって? わたしがあいつのことが好きでも、詩音はなんとも思わないというの?
 今日の詩音はわからないことだらけだ。わたしが後をつけてきていたことも最初から気づいてて、だけどそれを見せつけるかのようにわたしを無視した。それならどうして彼と一緒に帰ろうとしなかったの? わたしに宣戦布告みたいなことするくらいなら、最後まで徹底的に見せつけてほしかった。それが何? 彼を一人で帰してわたしを待ち伏せ? どういうこと?
 ……え。宣戦布告? つまり詩音は、わたしを土俵にあげようとしているの?

「だったら一つだけ教えてあげるね。隆史は私のことが好きだよ」
「それをわたしに伝えて、わたしにどうしてほしいの?」
 詩音は小さくくすりと笑った。優しそうに、わたしを見つめ返してくる。優しそうな笑みって、そんな言葉で合ってるのだろうか。抽象的すぎてよくわからないけど、まるで急に詩音が風景の一部として溶け込み、この場所から消えてしまったような、何故かそんな風にも伺えた。
「だから、そういうことだよ」
 ちゃんとした、具体的な答えがあったわけでもない。だけど詩音はつまり、わたしにしてほしいことを願っていた。そんなのって……。

 ねぇ詩音。さっきまでここで彼と、何を話していたの?
 どうして今ここでわたしと話をしているの?
 詩音は、彼のことが好きで好きでたまらないんだよね?

 今は詩音の本当の気持ちなんてわからない。彼の気持ちなんてものもわからない。
 だからわたしは海の底に沈んでしまった言葉の数々を全て飲み込んで、こうとだけ返していたんだ。

「じゃあ、わたしは勝手にするね」

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