しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

セピア色の傘立て 008『虹色ゴシップ』

 春の大型連休も終わり、坂道だらけのこの街にも若葉の香る空気が流れ込むようになった。瑞々しい五月の風が落ち込み気味だった私を勇気づけてくれる。そんな心地がある。正直、今年の桜の匂いは鬱陶しいほどに苦手だったから、ようやく季節が春らしく思えてきたんだ。

「わたしたちのダンス、やっと様になってきたんじゃない?」

「やっとっていうか、碧ちゃんがダンスの練習始めたのって一昨日のことだよね?」
「たった二日間でここまでできるなんて貴女も大したものね。ますます殺したくなってきたわ」

 まだ歌のない音楽だけのその曲をスマホから停止させると、同時に碧ちゃんと楓さんも足のステップを止めた。最後はとても物騒な単語が飛び交った気もしたけど、それは平常運転の光景だ。

「でも碧ちゃんがようやく正式加入を決めてくれて、私も嬉しいな」
「まだすっきりはしてないけどね。でもこのままじゃ事務所での居場所がなくなっちゃいそうだし、きっかけづくりはしておきたいかなって」
「つまりあの大きな事務所では貴女もちっぽけなネズミでしかないってことね」
「それをはっきり言わないでよ〜!!」

 碧ちゃんだけは知り合いの事務所から助っ人で入ってもらってるという形だ。というのも碧ちゃんの事務所は比較的大きな芸能事務所で、私達と同世代に子役から活躍してる国民的女優がいる。しかもその彼女と碧ちゃんのキャラクターがもろ被りしてるのだ。このままでは事務所の中でも碧ちゃんが埋もれかねない。そこで提案されたのが、うちの事務所のユニットとアイドルデビューするという話だったらしい。

「でも貴女が入ってくれるのはあたしにとっても願ったり叶ったりね」
「どうせまた『これで殺せるチャンスは永久的なもの』とか言うつもりなんでしょ?」
「そこまであたしを理解してくれるなんて、もはや何も言うことはないわ」
「うっさい黙れそこのブラコン娘」

 詳しくは知らないけど、どうやら楓さんの兄が碧ちゃんと知り合いなのだそうだ。楓さんは何かとすぐに兄の話をしたがるし、そこへ碧ちゃんが速攻でツッコミを返すのが日常茶飯事となっている。

 きっとだからなのだろう。楓さんが碧ちゃんに濃厚な殺意を抱いているのは。


「でも仲の良い兄がいるなんて羨ましいわね」
「仲良くなんかないわよ。今は別居中だし、しばらく顔だって見てないわ」
「別居?」
「あたしの兄をどこかの泥棒猫が掻っ攫ったのよ」

 すると楓さんの冷たい視線が何故か碧ちゃんの方へ飛んだ。いやいや、さすがにそれはないとは思うけど。

「でも遥華ちゃんと隼斗くんの関係に比べたら、この兄妹って全然仲悪いと思うよ」
「私と隼人? 別に私と隼斗は姉弟ってわけじゃあ……」

 そう言いかけて、ふと言葉が続かなくなる。なぜか違和感だけがしこりとして残ってしまった。

「あたしと兄だって血の繋がりなんてないわよ。ともすればあたしたち似た者同士ね」

 まるで私の気持ちを先読みしたかのように、楓さんは冷たくそう言い放つ。そもそも血の繋がりとかこれまで意識したことさえない。ただ自然と、彼は私と一緒にいた。それだけのことだから。

「まぁ楓さんは仲良く喧嘩することさえできないほどいつも鬱憤貯めてるように見えるけどね」
「ふふっ。貴女のその洞察力、嫌いじゃないわ。やはりただ殺すにはもったいないわね」
「ありがと。でもすぐにそんな殺伐な言葉が出てくるのは、アイドルとしてさすがにどうなのかな?」

 喧嘩だって……そもそもこれまで彼と喧嘩なんてしたことなんてあっただろうか。だけど今は彼の冷めた顔が私の胸を突いてきて、臆病な私は逃げ惑うことしかできないのだ。

「貴女と月島君が羨ましいわ。互いに交わることのできる純潔な血ですもの」

 交わるとか純潔とかいう以前に、私と彼はそんな綺麗な関係ではないはずなのに。

「でも私のせいで、隼斗は役者を辞めてしまったことに変わりはない」

 これが全て。私は彼の役者人生を奪ってしまった。私がいなければ、彼はもっと何年、何十年とかけて、一流の役者として空高く羽ばたけたかもしれないのだ。

「遥華ちゃんはさ。隼斗くんの本心とか、きっとわかってないんだろうね」
「え、隼斗の本心……?」

 何のことだろうと思い、私の思考は途端に停止してしまう。

「ええ。見ていて焦れったくなる程度には交わらなくてイラッとするわ」
「ひょっとして私、二人に馬鹿にされてる!??」

 二人から返ってきたのは、ニヤッとした笑みだけ。どういうことかわからない私には、苛立ちに近い気持ちが芽生える。私と隼斗のすれ違いなんて本当に初めてで、あんな態度を取られたことはこれまで絶対になかった。隼斗はずっと私の側にいて、たまに喧嘩して、たまに愚痴を言い合って。
 同じ役者仲間として、これからだっていつまでも……。

 それが当然で、それが当たり前の話だと思っていたから。

「だったらそういう碧ちゃんはどうなの? 突然アイドルになるって決断したみたいだけど」

 これは責任転嫁かもしれないけど、言われっぱなしなのも癪ってやつだ。

「別に突然ってわけでもないけど、どっちかというと隼斗くんが可哀想に見えたから……?」
「え、隼斗?」
「……って言ったら遥華ちゃん怒る?」
「へ!??」

 だけどなぜかむしろ逆襲されたような格好になる。

「彼女に何を言ってももう無駄よ。そもそも自覚なしなんだから」
「そっかー。残念だなぁ……」

 頼むから誰が何に対してどう残念なのか、私に説明してほしい。

「まぁ遥華ちゃんを苛めるばかりじゃ可愛そうだし、せっかくだしちゃんとカミングアウトするとね……」
「私って、そもそも苛められてたの??」

 二人の視線が一瞬一斉にこっちに飛んできたが、それはあくまで一瞬の出来事だった。

「わたしにも以前、好きな人がいたんだ」

 だけどそれは本当に純粋なカミングアウトなんだって、碧ちゃんの美しい横顔にはそう書いてある。

「まさか貴女、やっぱしあたしの兄を!??」
「違うって!! もちろん違う人。しかもちゃんと過去形だから」

 碧ちゃんは慌てて否定するけど、楓さんのなんとも言えないクールな表情は、いつだって何を考えてるか読ませる隙を与えてくれない。

「わたしの好きな人だった人はずっと年上の人だよ? 正確には、わたしの姉の彼氏だった人」
「姉の彼氏というのも過去形?」
「うん。わたしのせいで過去形になっちゃったの」
「え……?」

 碧ちゃんの言葉の意味が、その横顔とともに複雑なそれになる瞬間だった。

「わたし、まだガキだったからさ。嫉妬? ……ううん。そんな大人が使う言葉の意味さえ中途半端に理解したまま、姉から大切な人をわたしが奪っちゃったんだよね。だから罪滅ぼし? そんな大それたことを今のわたしが許されるとも思ってないけど、でもそんな人間がアイドルやって、嘘でも笑顔を振りまくなんて、わたしにはまだ荷が重すぎるなって」

 もちろん、わたしには理解の難しいお話だ。どっちかというと、理解が追いつかないお伽噺で。

「だけど隼斗くんに言われたの。こんな嘘つきで性格も最悪なわたしでも、ちゃんと見てくれる人はいるんじゃないかって。それ聞いてもう一度わたしも、前を向かなきゃなって」

 そしてやっぱり隼斗は、誰に対しても優しい人だって。

「あら。なかなかの美談じゃないかしら。てっきり本気であたしの兄にご執心なのかと思ってたけど」
「だから最初から違うって言ってるでしょ!!」
「つまりそうやって男をとっかえひっかえ……」
「どうしてそういう話になるの!? わたしそんな話一ミリもしてないよね?」
「でも今度は大丈夫ね。貴女のライバルはこんな感じだし。その前に兄をとっとと返してほしいのだけど」
「返そうにも取った記憶なんて一ミリもないし、その前に大好きなお兄ちゃんと早く仲直りしてよね」
「それは難しいお話ね。もっとも貴女には関係のないお話でもあるけど」
「だったら最初からわたしを巻き込むな!!!」
「あ、あのさぁ…………」

 放っておくと碧ちゃんと楓さんはいつまでも二人で喧嘩を続けてしまう。仲が良いのか悪いのか、話を聞けば聞くほどわからなくなってくるけど、でもそろそろ決めることも決めなくてはいけない。

「私達のユニット名って、結局どうするの???」

「…………」
「…………」

 そして肝心な箇所で黙り込まれてもらっても困る。碧ちゃんの加入が決定したのだから、そろそろちゃんとデビューに向けて話し合うことは話し合わないといけない。というより、なんでわたしたちのグループってこんな話ばかりしてるのだろう。いつもほんの些細な、脱線したお話ばかり。

 ちなみにユニット名が決まったのはこの日の夜のこと。ずっと口喧嘩を繰り返していた碧ちゃんと楓さんを見かね、打ち合わせから帰ってきたばかりのママが仲裁に入ってそのまま決めてしまったのだ。

 『虹色ゴシップ』。直訳すると、雨上がり後の楽しい噂話ってところか。