しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

流れ降る星の雨音 〜楓〜 001『思い通りに描かれない異世界転生』

 黒峰洋花は『百年に一度の天才女優』であると同時に、中学生以来のクラスメートだった。

 かといえ、特段仲が良かったわけでもない。強いて言えば、仲の良い友達が多くない者同士、他の人より話す機会が若干多かった程度か。例えば修学旅行の班決めのときとか。『百年に一度の天才女優』とか言われるくらいなら、とっととその社交性を使ってどこかのグループに混ざってしまえばいいものを、洋花は真っ先にあたしに近寄ってきて、『同じ班にならない?』と誘ってきたんだ。正直気持ちもわからないことないけど、そこであたしを狙い撃ちするのは流石にどうかと思ったものだ。

 互いに他人と距離を置く性格。それが洋花とあたしを結びつけていたのは皮肉とも言えるかもしれない。

「カエちゃん。お好み焼きの生地、もう焼けたかな?」
「絶対にまだ!! てか貴女、ひょっとしてお好み焼きとか本当に作ったことないの!??」

 そしてどういうわけか、洋花はその名前を津山月香と名前を変え、再びあたしの前に現れたんだ。

「そういえばなかったなぁ。てかカエちゃんは料理得意だね?」
「これくらいはフツーよ。そもそも貴女さっきはキャベツさえまともに切れてなかったじゃない!?」

 しかも一緒に住んでた男と喧嘩してしまい、しばらくあたしの家に泊まるというのだ。
 あたしは高校生になってから、諸々の家庭の事情があって一人暮らしを始めていた。どういう縁かまたしても同じ高校に通っていた洋花は、そのことをちゃんと記憶してたらしい。結果、月香にとってあたしの部屋は、都合のよい痴話喧嘩の逃げ先と認定されてしまったようだ。

「正直仕事と勉強が忙しすぎて、料理なんてやってる暇なかったんだよねぇ〜」
「仕事を忙しそうにしてたのは認めるけど、貴女勉強なんて普段からしてないでしょ!?」
「……バレたか」
「というより昨日まで自分が洋花だってことも認めてなかったじゃないの!!」

 月香はあたしの反論にほとんど耳を貸さず、澄まし顔でフライパンの中のお好み焼きを覗き込んでいる。色はまだ白のままで、食べ頃と呼ぶには全然程遠い。香りだけは少しずつ、それらしい匂いが鼻孔を誘ってくる。

 あたしは彼女が洋花だろうが月香だろうが、正直今はどっちでもいい。
 ただ横にいる月香と真正面から向かい合うことは、まだどこか赦されないような気もしていた。


 焼き上がったのはそれから約五分後のこと。……いや嘘だ。恐らく中はまだ焼けてないだろう。
 それでもめんどくさがりの月香は、色と香りだけでこれで良しと判定してしまったようだ。こうなるとあたしの警告など絶対に聞こうとしない。常にマイペースなのが洋花のモットーでもあったから。

「うっ。まずっ!」
「それは貴女が具材を大きく切りすぎたからでしょ。この人参なんかまだ全然硬いじゃない。お好み焼きと言うより生野菜をそのまま食べてる気がするわ」
「やっぱし私に料理とか向いてないのかな〜?」
「向いてる向いてないとかじゃなくて、貴女のこれまでの人生、料理をサボりすぎてただけでしょ!」

 そもそも月香はあたしの声を聞く耳など持っているのだろうか。さらに言うと、なぜあたしの部屋に転がり込んできた? 本当にどうにも釈然としないことだらけだ。

「つまり貴女は、自殺しようと車に飛び込んだら月香になってたって言うの?」
「間違えなく赤信号だったんだけどなぁ〜。なんで生きてるんだろね?」
「呆れるわね。そんなことで異世界転生ができちゃうなら」
異世界転生か〜。そのとおりかも。うんそれ採用!」

 そして異世界転生してしまった張本人は、これまでその自覚さえ危うかったのだろう。あっさりこの訳のわからない事実を受け止めてしまえるのも、黒峰洋花の性格そのままだったりするけど。

「どうせ異世界転生するなら一人でやってほしかったわよ……」
「え、どういうこと?」

 頭が痛い。思わず深い溜め息が漏れる。

「こんな異世界転生にあたしまで巻き込むなって言うこと!!」
「…………?」

 本気で気づいていないのか。頭がおかしいくらいに良いくせに、直接自分と関係のないことに関しては本当にでどうでもよいらしい。ほぼ無関心。あたしも人のことは言えないが、友人が少なくて当然だ。

「まぁあたしにとっても黒峰洋花がいたあの世界は、正直好きな世界ではなかったけどね」
「ああ、そういう……。え、そうなの?」

 別にそれは洋花のせいというわけでもないし、今だってこの世界を好きになれたとは思えない。でもどうせ異世界へ転生できるのなら、あたしの過去まで引っくるめて、全てを奪ってほしかったくらいだ。

「でもカエちゃんはいつもお兄ちゃんと仲良さそうでしょ。大樹くんだっけ」
「別に。何も知らない人から見たらそう見えただけよ。実際そんな仲が良いわけでもない」
「だけど命の恩人でしょ? カエちゃん大怪我して、一時的には脳死してたわけだし」
脳死じゃなくて植物状態。本当に脳死だったら既にあたしは死んでるわよ」
「でもそれを助けてくれたのがお兄ちゃんだって。今も有名な学校で勉強中なんだよね?」
「なんで他人にはあまり興味ないはずの貴女があたしのことをそこまで知ってるのよ!?」

 月香は首を斜めに少し捻り、『なんでだろ?』みたいな顔をしながらあたしの方を伺ってくる。あたしがそれを聞いたはずなのに、まるで難しい問題を月香に出してあたしが困らせてしまったような感覚だ。頭の回転が恐ろしいほど速いくせに、心の中身はピュアそのもの。小さな女の子のままなのだろう。全く、そもそもどうしてあたしが月香を虐めたみたいな風になってるのだろうか。

 あたしには生まれた日が十ヶ月離れた兄がいる。十年じゃない。十ヶ月だ。
 中二の頃だったか、月香とあたし、そして兄も同じクラスとなり、同じ教室で同じ授業を受けていたこともある。そういえばその頃か。月香が一度だけ、テストで学年二位になったのは。その時のトップは、兄だった。
 ……まさかとは思うのだけど、あたしが月香に個体認識されるようになったのは、その兄のせいだったりするのだろうか。

「お兄ちゃんも頭良かったもんねぇ〜。医療工学を勉強してカエちゃんの病気を治しちゃうんだもん」
「まるであたしが不治の病にでも侵されてたようなそういう言い方やめて」

 まぁ、実際にそういう話かもしれないが。
 兄はあたしが植物状態になると、界隈では有名な先生とコンタクトを取り始め、その先生と一緒に医療工学を学び始めた。そもそも植物状態というのは脳の中の大脳が機能しなくなった状態を指す。見方を変えると大脳以外は問題ないわけで、つまりその大脳さえどうにかなればよいということでもある。兄と先生は医療工学を用いて、あたしの損傷した大脳を補完するAIを開発したのだ。

「でもその研究成果のおかげであの緑川学園の特待生でしょ? そう考えればカエちゃんも大好きなお兄ちゃんの役に立てたってことで、微笑ましい話に聞こえるけどな」
「ええ。おかげで寮生活なんて始めてくれちゃって、本当にいい御身分よ」
「ひょっとしてカエちゃん、お兄ちゃんが家を出ていったから拗ねてるの?」
「そういう話じゃない!!」

 拗ねてる……? 冗談じゃない。さっきも言った通り、あたしと兄はそういう関係ではない。

 あたしがこの世に生を受けたときには、家には兄がいた。いつもあたしの目のつく場所にいて、手を伸ばせばその場所に兄の手があった。最初から追いかける必要さえなかった。ずっとあたしの目的は達成されないまま、時間は刻々と流れ続けていたんだ。
 本当の兄と妹のようにずっと一緒で、ただし血の繋がりは存在しない。あたしは義妹とはいえ、やはり兄は兄でしかない。

 だからこそあたしは、自分で自分の時間を止める必要があったんだ。ここにいる月香と同じように。

「あたしは兄のために生まれてきたような存在だから、そういう特別な感情なんてあるわけないわ」

 ありきたりの恋愛小説などでは、血の繋がりのない兄と妹は必然的に結ばれがちだ。だけどそれは互いの知らない時間を埋めようとするからで、全ての時間を共有している関係はそんなことありえない。

「そういうもんかなぁ……」
「そういうもんよ」

 だからどうせなら、あたしの過去を全否定してくれる異世界転生がしたかった。兄があたしの命を助ける必要も、そもそもあたしが生まれてくる必要さえも、何もかもが存在しない世界へ、あたしは……。

 小さく微笑む月香をあたしが赦せないのも恐らくそれが理由。ピュアで美しい笑顔が羨ましいだけ。
 何故ならあたしがこの世で生を受けた目的、それは命の恩人である兄を殺すことなのだから。