しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

セピア色の傘立て 005『アイドルとして求められるもの』

「先方とも話はついてるって、わたし何も聞いてないのですけど?」

 碧ちゃんの話であるのに、一番驚いていたのは碧ちゃん自身だった。確かに碧ちゃんの口からアイドルの話などイチミリも出てきてなかったわけだから、本当に初耳だったのかもしれない。

「うちの事務所主体で活動するアイドルグループに碧海ちゃんを参加させようって話よ。さっきも碧海ちゃんとこの社長さんとランチ食べながらその話をしてたんだから」
「あら奇遇ね。そういう話なら本当に何も問題ないじゃない」

 だけどこの急展開な状況に、一番のほほんとしているのは星乃宮と名乗る彼女だったりする。まるでさも当然みたいな口調で、隼斗の淹れたブレンドコーヒーをちびちび飲み続けていた。ここまで堂々と居座られると苛立ちさえ覚える程だ。

「今日碧海ちゃんをここへ呼んでたのもそれが理由よ。どういうわけかその前に碧海ちゃんへ話が行き届いてしまったようだけどね」
「ああそっか。わたし今日元々この事務所に用事があったんだった」
「…………」

 思わず私は隼斗と顔を見合わせてしまう。『だから言っただろ』みたいな顔をしている隼斗に、ますます苛立ちを覚えた。事実なのはママが碧ちゃんをここへ呼んでいて、近くの公園を歩いていたところをたまたま隼斗と出会っただけ。それは偶発的に発生した遭遇イベントでもなく、ただの必然だったらしい。

「これで決まりね。緑川さんと陽川さんとあたしの三人でアイドルデビューするって」

「でもそれにはもう一つ問題があるわ。遥華と碧海ちゃんはともかく、貴女は誰よ?」

 が、ママは当然のちゃぶ台返しを繰り出す。得体も知れない少女に、おいそれとアイドルデビューなどさせられるはずもないのは当然だ。そもそも彼女についてはママも知らない少女だったというわけか。

「あの〜、それ以前にわたしアイドルやりたいなんて一ミリも言ってないんですけど〜!」

 そしてすっかり蚊帳の外の碧ちゃんが可愛そうなレベルで、事務所の小さな会議室はやや不穏な空気に包まれてしまった。正直何をどこから突っ込めばいいのか、もはや全くわからない。


 会議室の小窓では外の様子を確認できないけど、雨の音もいつの間にか消えていた。暖かい春には程遠くて、微かに桜と雨が混ざった匂いが私の肌にまとわりついてくる。決して心地よいものではない。

「でも社長さん。あたしをここに誘ったのは、貴女ですよ?」

 彼女は涼し気な顔で、視線はママではなく、その先にある遠い場所を二つの瞳で見つめているかのよう。さっきからずっと気になっていたけど、幼ささえ残る星乃宮さんの容姿はどこか不思議な力を感じる。まるで本当はここにいないかのよう。はっきりとした存在感があるようで、実は幽霊でも見ているかのような、今見えている彼女は幻なのではないかという感覚に陥るのだ。

「私が誘った?? ……ひょっとしてあなた、『テセラムーン』さん?」

 星乃宮さんは微笑を返す。どうやら当たりのようだ。

「……って、誰?」

 だけど私はその名前を存じなく、必然として視線の先の隼斗へそう尋ねてしまう。

「お前、芸能界にいるなら少しは演技以外のことも勉強しろよ」
「テセラムーンって……ええ〜!! あの伝説の……」

 碧ちゃんの反応もおよそこんな具合だ。どうやら本当に知らないのは私だけらしい。ただ隼斗にそう返されたところで苛立ちしか覚えないのは、きっと私がひねくれているからだろう。

「でも、テセラムーンさん?」
「あたしの名前は星乃宮楓よ」

 慌ててママが反論しようとすると、星乃宮さんはすかさず無意味とも思えるチェックを返す。

「……星乃宮さん? 確かに貴女へスカウトメールを出したのは事実よ。でもそれはこれまで実績があるVTuberとしての活動をサポートしたいという意図だったのだけど」
VTuberがアイドルをやってはいけないなどという法律はどこにもないわ」
「法律じゃなくて、そもそもVTuberがほいそれと簡単に顔を出していいものかしら?」
「あたしは全く構わないわよ。VTuberもアイドルも仮面を被ってるという点では同一だもの」

 話が噛み合ってないようで噛み合ってしまっている。つまり、星乃宮さんは一体何がしたいのだろう?

 そんな会話を横目に、私は『テセラムーン』というキーワードをスマホで検索していた。間もなくヒットしたサイトは世界的に有名な動画サイトで、そこに表示された『テセラムーン』という名前のチャンネルは、五十万人ほどの登録者がいるそうだ。って、地味に多くない!?
 プロフィール欄には『歌の大好きな現役女子高生です。聴いていただけると嬉しいな』と非常にシンプルな言葉だけが並び、動画のサムネイル画像にはVTuberのキャラクターが映っていた。恐らく星乃宮さん本人を模したのだろう。美しくも神秘的な横顔は、彼女の面影もしっかりと残っている。

「あ、あの……これだけ有名な人がうちの事務所に来てくれるのはありがたいのだけど、歌はともかくダンスの経験とかはあるの?」

 いつのまにか私も恐る恐る質問していた。彼女の瞳に宿る何かに今にも取り憑かれてしまいそうだ。

「小さい頃に二年間だけバレエなら習っていたわ。あたしの両親がそういうの好きだったから」
「バレエ……」

 幼さが残る丸みを帯びた顔立ちに対し、身体の流曲線、足の長さと、スタイルは抜群に良い。間違えなくバレエ映えは良さそうだ。……いや、そうじゃない。バレエとアイドルのダンスは絶対別物だって!

「踊りでファンを騙せばよいのでしょ? 少なくとも陽川さんには負けない程度の自信があるわ」

 そしてこの挑発的な態度である。もはや怒りを通り越して、身体全身の力が抜けていくのを感じる。

「貴女がそれでいいならこの話を進めるけど、やるからには中途半端では困るわよ」
「大丈夫よ社長さん。陽川さんや緑川さん程の演技力があれば、アイドル程度のものを簡単に演じれると思うわ。あたしは二人ほどの演技力はないけど、自慢の歌唱力で十分補える。それに全てを見透かしてくれる月島君の眼力があたしたちのプロデューサーとして見てくれるのよ。間違えなく売れるわ」
「おい、俺はまだそんなこと一言も……」

 まるでアイドルそのものが演技だとでも言いたげなよう。けどそれは、言い得て妙だ。嘘の笑顔でファンを魅了する。人間性なんてものは最初から求められてない。アイドルにとってファンが神様だと言うなら、アイドルは恋人さえもつくらない偶像そのものなのだから。

「だからちょっと待ってよ! わたしアイドルなんてやりたくない!!」

 とはいえ、ここまで来ると碧ちゃんもいよいよ黙っていられなくなったようだ。

「わたし……ほら、女優だけじゃなくて声優業もしてるし、とてもそんな時間なんて……」
「別に声優とアイドルを兼ねるくらいなら……」
「だからそうじゃなくて、アイドルなんて絶対にやりたくないの!!」

 はっきり反発する割に、どこかちぐはぐでもあった。今時アイドル声優なんて珍しい話でもないし、むしろ碧ちゃんほどの華があれば、アイドルグループのセンターにいたっておかしくない。同業者である私ですら憧れるものを碧ちゃんは持ってるのに。

「今のわたしに、アイドルの笑顔なんてつくれっこないから」

 そんなアイドルに最も近そうな人が、なぜか一番遠いことを言うんだ。