しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

セピア色の傘立て 004『混沌のコーヒーカップ』

「隼斗は私がアイドルになることを後押しするんだ。随分と変わり身が早いのね?」
「別にそうは言ってない」

 もやもやする。ずっとこれの繰り返し。何が言いたいのかさっぱりわからない。

「さっきからそう言ってるじゃない! この話に関係のない碧ちゃんまで巻き込んで」
「彼女にはここにいてもらってるだけだ。遥華と俺だけでは話もまとまらなそうだし」
「私のせいだって言うの? そんなのただの言い逃れじゃん!」
「そもそも先にアイドルやるって言い出したのは遥華の方だろ」
「そんなこと言ってるんじゃない! 隼斗が私のこと……」

 隼斗は私のことを全然信用してくれていない。

 それを口に出してしまったら、負けを認めたことになる。
 私がアイドルになるというのも隼斗への反発心に対する結果。正解かさえもわからない。
 本当は隼斗に止めてほしいだけかもしれない。
 ただの願望で、ただの私の我儘。
 私はどこまで図々しい人間なのだろう。

「ねぇ。早くアイドル始めないの? あたしはそのためにここに来たのだけど」

 私と隼斗の空虚な硬直を打ち払ったのは、間にいたはずの碧ちゃんでさえなかった。
 碧ちゃんはさっきからずっと自分のスマホと睨めっこしている。たまにちょびちょび隼斗が淹れたコーヒーを口につける姿は、ある意味私達を信用してくれてる証かもしれないけど。

「そもそもあなた……誰よ?」

 だからこそ、彼女は一体誰なのだろう。
 私との唯一の接点を探すなら、私と同じ学校の制服を着ているってことくらいか。


「確か俺と同じクラスの……星乃宮さんだっけ?」
「そうじゃなくて、なんでそのホシノミヤさんとやらがここにいるのよ!?」
「理由は簡単よ。あたしと貴女と緑川さんの三人で、アイドルを始めるのだから」
「ちょっと待って。なんでそこにわたしまで含まれてるのよ!??」

 唐突とも思える彼女の身勝手な発言のせいで、強制的に碧ちゃんまで会話に巻き込まれていった。全く意味がわからないこの状況は、ついには全員参加の場外乱闘となる。

 そもそもの話、隼斗が帰宅したのは、傘を持たずに土砂降りの外へ出ていったおよそ十五分後のことだった。その間にどういう心境の変化があったかはわからない。はっきりしてることは、隼斗は碧ちゃんと一緒に帰ってきて、まるで手のひらを返すように『アイドルを始めればいい』などと私に言ってきたんだ。
 碧ちゃんの本名は緑川碧海。数少ない同じ年の同業者仲間だ。最後に一緒に仕事したのはおよそ一年くらい前だったろうか。だけどそんな久しぶりの再会の時間さえ、今日は曖昧にされている。

「でもあたしが一番興味あるのは、緑川さん、貴女よ?」
「碧ちゃん、星乃宮さんと知り合いだったの?」
「知らないわよ! たった今隼斗くんにホシノミヤさんって名前を聞いたくらいだし」
「知らなくて当然よ。あたし自己紹介とか大嫌いだもの」
「だったらなんでわたしに興味あるって言うのよ!?」

 ずぶ濡れの隼斗とここへ訪ねてきたのは、碧ちゃんだけではなかったんだ。隼斗の顔から察するに、彼女は公園で二人の会話を盗み聞きして、勝手についてきてしまったというのが正解なのだと思う。隼斗のクラスメイトで、碧ちゃんのファンだというのなら、そう考えるのが自然の流れだろう。消去法的に碧ちゃんのファンでなければ何なのだろう。

「あたしの目的はある人を殺すため。目的を果たすには緑川さんに近づくのが一番早いのよ」
「それってまさかわたしを殺すつもり!??」
「大丈夫よ。今はまだ殺さないわ」
「だからその『今は』ってどういう意味よ!???」

 なるほど。ファンではなく、碧ちゃんの殺人予備軍だったらしい。尚更意味がわからない。
 碧ちゃんは怯え、星乃宮さんは小さく笑う。今この場で殺人が起きようとも、きっと誰も止めることはできないだろう。それほど部屋には身体を硬直させるほどの冷たい空気が充満していた。とにかく今は碧ちゃんの無事を願うことくらいか。そもそもここは私と隼斗が暮らす住居だし、一応華ある芸能事務所の会議室でもあるから、物騒な事件は固くお断りなんだけどな。

 何もかもが有耶無耶になっていく。雨でくしゃくしゃになった星乃宮さんの長い髪は、公園に捨てられた黒猫を彷彿させた。大自然で育まれた野生の時間が彼女の瞳に宿り、隼斗が淹れた真っ黒なコーヒーの中へ、混沌という色を上書きしているかのようだった。

「隼斗はこの子のクラスメイトなんでしょ? でも本当にそれだけなの?」
「俺は昨日こいつと少し会話しただけだ。特にそれ以外何もない」
「そうなんだ……」

 彼女に対する隼斗の反応も中途半端に思えた。それだと全く会話してないというより余程たちが悪い。胸の内側のもやもやが、さらにこみ上げてくる。

「月島君はただのクラスメイトよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
「その言われ方は少し違和感があるんだけどな」

 だけど本当に二人は何もないのだろう。きっと考え過ぎ。私の口からは小さな溜め息が漏れてしまう。

「ふふっ。やっぱし陽川さんと月島君って仲がいいのね。これならあたしも安心だわ」
「べ、別にそんな仲がいいだなんて……。てか、何が安心だって言うのよ?」

 そもそもこの状況を仲が良いとか、一体彼女は何を見ていたのだろう。私の身体にはぞくっとするような電流が流れ、思わず逃げ場として隼斗の顔に目が行ってしまう。相変わらず隼斗は無表情のままで、いつもの隼斗そのものだった。そういうところだけは、本当にずるい。

「月島君はピュアな感性でずっと自分を演じてきた人。彼にはあたしたちのプロデューサーをしてもらうの。そうすればあたしたちは一番星のスターになって、誰よりも輝くことができるわ。だから貴女も彼とは仲良くしておいたほうが絶対お得なんだから」

 ピュアな感性で自分を演じて……彼女が発した単語の連なりに何かが腑に落ちなくて、どこか納得してしまう。だけど一番納得ができないのは、初対面の彼女が何もかもお見通しとでも言うように、隼斗のことをさらっと言ってのけたことだった。私の中のもやもやが、より一層強くなっていく。

 でももうこんなの御免だって。隼斗は誰よりも私が長い時間を共有していたはずなのだから。

「だからなんでわたしもそのアイドルグループに入ること前提なのよ!?」
「当然じゃない。今のこの中では緑川さんが一番アイドルっぽいのだから」
「そんな理由? てゆかわたしそもそもこの事務所じゃないし、そんなのできっこないし」

 本当は私だって碧ちゃんとアイドルを一緒にできたらと思う。でもそれはさすがに叶いっこない。理由は碧ちゃんの言うとおりで、私や隼斗とは芸能事務所が違うし、そんな簡単な話でもないのだ。ここには芸能界という大人の事情というものが存在して、私達子供にはどうすることもできっこないのだから。

「その問題なら既にクリアできてるわよ。先方とも話はついてるわ」

 だけどそんな大人の事情とやらを、変える力を持ってる人がいれば話は別だ。
 こんなにも混沌とした会議室に現れたのは、芸能事務所『カスポル』社長と書かれた名刺を持つ人物。

「ママ!??」

 名前は、陽川瞳。私の母親でもある人だ。