しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

エーデルシュティメ 003『学ラン男子の誤解と学ラン女子の青い思い出』

「だ、だからごめんって。てかなんで風呂場の内鍵をかけておかなかったんだよ」
「かけたもん! ちゃんと鍵かけてたはずなのに、なんで勝手に開けるのよ!!」

 男子寮二号館、八九七号室。運悪く唯一の男子住民である大樹くんは、共同生活初日から覗きの嫌疑をかけられていた。思春期真っ只中の女子二人が暮らすこの部屋で、脱衣所の扉を躊躇なく開けるとは即刻追放!……と言いたいところだけど、残念ながらそう簡単な話でもなさそうなんだよね。
 わたしも上杉さんも内鍵がかかっていたことは確認済みだった。それなのにどうしたもんだか。

「やっぱり上杉さん裸を見たかったから、思いっきり開けて鍵壊しちゃったんじゃないの?」
「なんでそうなるんだよ!?」
「だって大樹くんも年頃の男の子だし、女の子の裸くらい興味あるでしょ?」

 ちなみに上杉さんは迷子の野良犬を威嚇するような目で大樹くんを睨み続けている。どちらかというと困惑という表情が伺えて、怒るという感情が欠落してるように見えるのは少し事情を確認したいとこだけど。

「第一、俺は上杉のこと女子とは思ってな……」
「っ……」

 だけど大樹くんのその不用意な発言に対しては、さすがの上杉さんも冷たい怒りの視線へと変わった。つまり上杉さんにその手の台詞は絶対禁句らしい。わたしも気をつけないとな。


 山崎上杉家第三十九代当主の一人娘。それが上杉さんの正体。この地域の人だったら皆知ってると思ってたけど、残念ながら大樹くんは例外だったようだ。お家の跡継ぎとして育てられ、中学校では男子の制服、所謂学ランを着ていたらしく、一応大樹くん以外にも性別を勘違いをしてる人はいたにはいたらしいが。
 そんな上杉さんも高校生になって初めて女子の制服を買ってもらったらしい。ただし、入浴後に紺色の無地のシャツを華麗に着こなす今の彼女の姿は、いいところのお嬢さんというより、やはり清楚なお兄さんという具合なんだけどね。

「ま、とりあえず上杉さんの私服を探しに、今度買い物付き合ってあげないとね」
「よろしくお願いします」
「ひょっとして大樹くんもわたしたちと一緒に買い物したいのかな?」
「ば、ばか。んなこと言ってねーよ」
「覗き魔くんだったら女の子がどんな下着をつけてるのかチェックしときたいでしょ?」
「俺は覗き魔じゃね〜!!」

 大樹くんは強く反発してくる。正直これくらいじゃないとわたしの調子の方が狂ってしまいそうだ。
 にしても何故大樹くんは洗面所の扉を開けることができたのだろう。最初は大樹くんが洗面所の鍵を壊してしまったのかと思ったけど、実際どこにも鍵が壊れた様子がないのだ。
 ひょっとして目には見えない輩がこの部屋の何処かにいて、そいつが内鍵を開けたのだとしたら……。

 わたし、幽霊だけは本当に苦手なんだけどな〜。

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 食卓の中央に置かれた大きなお皿の上には、見た目からカリッとした鶏の唐揚と、採れたてと思しきしゃりしゃりなレタス、さらに真っ赤な艶のあるトマトが彩りを添えている。簡単ではあるけど、今宵の夕食はちょっとした歓迎パーティーともなった。
 パパから送られてきた鶏肉をわたしが少しずつバラし、上杉さんがそれを上手に揚げ、大樹くんは自作ドレッシングと共にサラダを丁寧に並べていた。残念なことに大樹くんも料理が得意なようで、女子力勝負ではわたしも焦りそうになる。

「そういえば上杉さんも親に言われてこの部屋に住むことになったんだっけ?」
「うん。突然昨日親に呼ばれて、話はつけておいたからって」

 上杉さんは自分の口よりもやや大きめの鶏肉を何とか頬張っている。本当にごめん。

「やっぱり昨日なんだ。わたしも昨日パパが『今後のためにも家を出て寮に暮らせ』とか言ってきたの。しかもそれが男子寮とか、ちょっと予想してなかったけどね」
「ちょっとどころじゃないだろ。だいぶ想定外すぎないか!?」

 これには大樹くんが一番猛反発を示す。それもそれで違和感があるけど、わからなくもない。

「なんで僕たちここにいるのかな……?」
「う〜ん、やっぱしあれじゃない? わたしと上杉さんの共通点から考えるとさ」
「……ま、他に理由もないか」

 わたしは学園長の娘で、上杉さんは地方財閥の娘。となると思い当たる節は一つくらいなもので。

「は? どういうことだ!?」

 だけど案の定とも言うべきか、犯人と思しき大樹くんの顔には何一つ答えが描かれそうにない。

「君、本当に何も知らないの?」
「中学のクラスメイトに聞いたことあるけど、確か深澤くんの家って妹が一人の四人暮らしだよな?」
「あ、ああ。てかなんで聞いたことあるんだ?」

 上杉さんは顔を少し赤らめている。が、この理由については一旦外へ置いておこう。

「妹とは仲が悪かったのか?」
「別にそういうわけじゃない。……ただ、俺はあの家族とは誰とも血の繋がりを持ってないから」
「どういうことだ?」

 わたしには若干の戸惑いのある話を、上杉さんは何も躊躇いなく聞いていく。同じ中学出身という二人の距離感とは、本当に一体何がどうなっているのだろう。

「今の俺の家族は、母親の再婚相手である父と、さらにその再婚相手である母親。その二人の娘が俺の妹。伝わりにくいかもしれないが、俺の本当の母親はとうの昔に死んじまってる」

 頭の回転が激遅であるわたしは、指を折りながら話の内容を理解するのがやっとだった。それでもなんとか大樹くんの話の全てを解釈すると、同時に大樹くんが全てを話していないことも理解してしまう。

「な〜んだ。やっぱし犯人は大樹くんじゃん」
「ああ。僕も理解した。何者かは知らんが、ようはそいつが真犯人ってことだな」
「おいっ! 今の話で何をどこまで理解したって言うんだよ? 真犯人って何!?」

 ま、そこまでわかったのなら、大樹くんにこれ以上辛い話をさせるのは野暮というもの。残りはわたしが執事さんにでも頼んで調べてもらえばわかると思うけど、急ぎとも思えないこの話はそろそろ本気でどうでもいい。ぶっちゃけ、深い溜息しか出てこなかった。

 だけど上杉さんの方はというと、急に思い出したかのように再び悲鳴を上げたんだ。

「ってちょっと待ってよ! そっちはとりあえず解決したけど僕の裸を見られた件は何も解決してない!」
「いや、だからそれは事故……」
「鍵壊してまで僕の裸見るとか全然信用できないんだけど!!」
「完全に誤解だ! 俺は鍵なんて壊してない!!」

 上杉さんの顔はさっきよりはっきりと赤みを帯びている。上杉さんのグラスに注がれたあの赤い飲み物は、実はトマトジュースじゃなくてきっと赤ワインだったのだろう。

「そうだよね〜。覗き魔と一緒に暮らすならわたしも洗濯物とか気をつけないと」
「僕の下着にも興味があるのか? このケダモノめ!!」
「どうしてそうなるんだよ!!」

 とはいえ、やはり大樹くんが鍵を壊して女子風呂を覗こうとしたとは思えなかった。大樹くんはあの時、顔を洗いに行っただけ。鍵を壊す余裕なんてなかっただろうし、事実壊れてなどいない。

 つまり、誰かが鍵を開けたんだ。……誰が?
 そろそろそっちの議論もしたいけど、上杉さんの反応も面白いのでもう少しだけこのままにしておいた。