しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

エーデルシュティメ 005『嘘と江ノ島』

 緑色の古めかしい電車はどこか懐かしい音を立てながら、江ノ島駅へと辿り着いた。
 学生寮の最寄り駅からは十分ほど。『江ノ島』と冠した駅名のくせに、実際に島へ辿り着くには歩いてさらに十五分ほどかかる。これだと何も知らない無邪気な子供たちには、『嘘つき』と罵られても仕方ないようにも思える。

 本当に世間ってやつは、つくづく嘘まみれの世界だ。

「キャッチ! 溜息ばかりついてると幸せが全部なくなっちゃうよ。これもちゃんと飲み込んで!」

 緑川は俺のついた溜息を見逃さず、目には見えない俺の吐息を手で掴むと、無理くり口に戻そうとしてきた。俺は緑川の手を追い払おうとするも、緑川はそんなのお構いなしと強引に俺の口を封じる仕草を見せる。くすくす笑う緑川の顔は、からかってくる時のいつものそれ。

 上杉と緑川の父親の陰謀で始まったらしい奇妙な寮生活は、もうすぐ一ヶ月を迎えようとしていた。三人ともクラスは全員バラバラで、一日の全ての授業が終わると同じ部屋へ戻ってくる。その繰り返し。
 そもそも緑川と上杉は、男子寮で生活することに意識したりすることはないのだろうか。だが二人ともむしろ開き直ってるかのようで、どういうわけかあまりにも堂々とし過ぎているようにも思えた。


「せっかく江ノ島に来たんだからもっと楽しまなきゃね」
「お前の場合、むしろいつも通りにしか見えないんだけどな」
「だって本当に楽しいじゃん。大樹くんは楽しくないの?」
「…………」

 そう会話をしながら駅前の商店街を歩いてると、顔も知らない同じ年くらいの男子たちが『あの子可愛くない?』などと小声で話しているのが聞こえてくる。緑川はそれを意識してか、彼らに自分の顔を見せびらかすように横を向き、その調子で俺に話しかけてくるんだ。間もなく彼らの会話の声がぴたっと止む。緑川のたかが横顔のせいで、無垢な男子高校生たちは昇天してしまったらしい。
 とにかく絶対振り返ってなるものか。こいつに巻き込まれないよう、俺は俯き加減の姿勢を取った。

「どうしたのよ、そんなに俯いちゃって」
「てかお前それ、わざとやってるだろ?」
「ん? なんのこと??」

 緑川は当然のようにしらを切る。嘘っぽい笑顔で俺の質問に知らぬふりをした。
 緑川は学園長の娘であり、その一方で女子高生声優という顔も持っている。元々は子役として活躍していたらしく、言われてみると昔観たテレビドラマの中でこの顔に見覚えがあった。声優として活動し始めたのは去年からで、名前のない役をいくつか演じているらしい。よほどコアなアニメ好きでなければ緑川碧海という名前も知られてないらしいが、演技力という点に置いてはそれなりの芸歴の持ち主でもある。
 そんなプロのお仕事とやらを私生活でやられた日には、俺だって反応に困るんだがな。

「やっぱしカメレオンくんの考え過ぎなのかな〜?」
「何の話だ?」

 緑川がお土産店の店先に飾られていたキーホルダーへ目を奪われてる隙に、上杉はさり気なく声をかけてきた。今日はいつものぴしっとしたYシャツではなく、お洒落な白いワンピースに紺色のボレロを羽織っている。上杉の身体がやや硬くなって見えるのは、きっとそのせいだろう。

「碧海さん、何か悩んでそうみたいなことをこの子が言うんだ」
「きゅ〜!」

 そんな上杉の肩にぴったり貼り付いたカメレオンくんとやらは、謎の泣き声を上げている。可愛らしい泣き声を演じているつもりなのだろうが、甘ったれた声に俺は騙されるつもりはない。そもそもの話、カメレオンってそんな風に鳴くものなのか?

「悩み? あいつの場合、悩みがあってもあまり気にしないんじゃないか?」
「そんなことないと思うよ。アレだって一応女の子だもん。というよりお兄ちゃんももう少し女子に対して優しくしてあげるべきだと思うけどな〜」

 カメレオンというより、こいつは恐ろしいほど流暢な日本語で話してくるとんでもロボットだ。てかなぜ俺がこいつの『お兄ちゃん』という設定になってるかは知らんが、謎ロボットのくせに話にもそれなりの説得力がある。俺も反論できない点が痛すぎるところなのだけど。

「ま、あいつは嘘つくこと自体がお仕事のようだから、何隠してても不思議じゃないけどな」
「それもそうなんだけどね……」

 上杉だってその点は納得しているらしい。そもそも今だってそうだ。緑川は俺らから少し距離を取った場所でスマホを弄っているが、本当は俺らの会話に気づいている可能性もある。他人とは適度な距離を取り、後で『ごめん実は聞こえてた』とか言ってくるんだ。つい数日前もこれと似たような話があったばかりだし。

「とりあえず江の島まで来たんだし、みんなで気分転換できればそれでいいんじゃねぇか?」
「うん。それもそうかもね」
「ふふっ。二人ともやっぱし仲がいいね! お姉さん少し妬いちゃいそうだなぁ〜」

 ほらこんな具合。緑川はさりげなく突然その距離を詰めてきた。話に割って入ってきたかと思えば、空気を読まないフリをする。まるで話が勝手にまとまるのを待っていたかのようなタイミングで、適当に話を茶化してきた。

「てか誰がお姉さんだよ?」
「だってわたしが五月生まれで、大樹くんが六月生まれだよね。透は十二月生まれでしょ?」
「え。僕の誕生日が十二月だって、碧海さんに話したことあったっけ?」
「そんなのうちのデータベースで調べればすぐにわかるもん」
「お前それ、ハッキングっていうやつでは……?」

 ハッキングは不正アクセス禁止法でしっかり禁止されている。たとえそれが実家のデータベースでも当然適用内のはずなんだがな。

「そんなこと言っていいの? わたしたちが奇妙な寮生活をしてる理由、君も興味あるでしょ?」
「いやだからそれとこれとは話が別……」
「大樹くんの実の父親が今どこで暮らしているのか、本当に気にならないのかな?」
「な……」

 俺の、実の父親……だと!?

「でも教えてあげないよ〜。ま、調べてもわからなかったが正解なんだけどね」
「…………」

 結局からかうだけからかって、話を全て自分の思い通りにしてしまう。俺の反応を見透かした上で、それを楽しんでいるかのよう。だからいつもそのペースに足をすくわれ、気づかぬうちに振り回されてしまう。どこまでが真実でどこからが闇の中なのか、曖昧な世界へと案内されてしまうんだ。

 とはいえ今回に関しては俺も実の父親なんて考えたこともなく、何の話かさえわからないのだけどな。

「ねぇ深澤くん。本当にお父上のこと、何もわからないの?」
「お、おう……」

 ところで上杉はなぜその話に急にしゅんとなってしまったのだろう。それこそ全然関係なくないか?
 上杉のやや寝ぼけた顔は、どういうわけか俺以上にあっけらかんとしている。わずかに赤く染まった彼女の頬が、白いワンピースをより一層映えさせているようにも感じられるくらいには。