しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

エーデルシュティメ 007『雲の上に煌めく星の光』

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「へぇ〜。あの漫画、ついにアニメ化されるんだ」
「うん。だけどこれまだ非公開情報だから他の人へ言っちゃダメだよ?」

 弁天橋から海を渡り、お土産売り場が並ぶ賑やかな参道を過ぎると、いよいよ本格的な階段登りになる。体力に自信のない人間の方々はすぐ隣のエスカレーターの利用をお薦めするけど、木陰の隙間から見える青い海の景色は、階段を選んだ人だけへのささやかなご褒美かもしれないよね。
 もっともボクの場合はご主人様のポケットに隠れていれば、景色を堪能しながらご主人様が目的地まで連れて行ってくれる。透ちゃんには感謝しかないけど、ぬいぐるみというのも実に便利な身体だよ。

「その漫画、そんな人気あるのか?」
「クラスの女子もみんな読んでるよね。元々は少年漫画誌だけどそういうの全然関係ないみたい」

 ちなみに透ちゃんが根っからのアニメ好きだったことは、お兄ちゃんさえ知らないヒミツだったはず。逆にお兄ちゃんは昔から二次元に興味なさそうだし、今だって透ちゃんと碧海ちゃんの三段後ろを必死に登ってきているほど。いつも思うけど、男の子だったらもう少し体力つけたほうがモテると思うよ?


「僕もあの漫画大好きだよ。もちろん全巻持ってるし」
「え、透の部屋に本あるの? そしたら後で読ませてよ」
「いいけど、碧海さんは持ってないの?」
「うん。オーディションの時は友達から借りて読んだけど、役作りのためにもう一度読んでおきたくて」
「そっか。じゃあ帰ったら貸してあげるよ」
「ありがと。すごく助かる!」

 透ちゃんの場合はアニメを観るだけでなく、次にアニメ化されるであろう漫画やラノベも本屋で探して、これと思ったものは片っ端から目を通していくんだ。ただし最初の判断基準は、絵がかわいいか否か。それって間違っちゃいないだろうけど、偏りすぎでしょと思わないこともないけどね。

「じゃあさ。碧海さんが主題歌とかも歌うの?」
「う〜ん……そこはまだ交渉中でして……」
「もし主題歌も決まればすごいことじゃん! 準主役と同時に歌手デビューとか?」
「だから交渉中っていうのはそっちの方じゃなくてですね……」

 透ちゃんは目を輝かせながら、そんなのんきなことを言っている。ほんと碧海ちゃんのこと何もわかってないんだから。

「なんだ。てっきり碧海ちゃんのことだから、歌は歌いたくないとか事務所にごねてるのかと思った」
「…………」

 ボクだって碧海ちゃんの事情なんてわかるわけないけど、純粋にここまで嘘つきな碧海ちゃんが人前で歌うとか想像できないだけ。だけどその予想を裏付けるかのように、案の定碧海ちゃんは口籠るんだもん。

「え。そうなの!? そのままCDデビューもして雲の上まで行っちゃうのかと思ったけど」
「待って。雲の上ってどこ!? わたしを勝手に昇天させないで!!」

 透ちゃんは青空の彼方へ視線を伸ばし、文字通り雲の上を見上げている。いくら碧海ちゃんでも可愛そうだから天国まで連れて行ってあげるのは止めといてあげたいところだ。

「碧海ちゃんがそんなのできるわけないじゃん。芸歴だけがそれなりに長いだけの無名の三流役者だよ?」
「おいそこのカメレオン。そろそろそれくらいにしてもらおうか?」

 ボクが反発すると、たかがペットのくせにという顔で睨んでくる。たかがペットで何が悪い。

「きっと『人前で歌うとか嫌だ』とか言ってるんでしょ? なんかほんとめんどくさそうだよね」
「なんで見てきたかのように話すの!?」
「なんとなく。AIの直感みたいなやつかな? てか本当にその理由なんだ」
「…………」

 そもそも本物のAIに直感なんてあるのだろうか? そんなのボクも知ったこっちゃない。だけどいつも碧海ちゃんを見ていて、なんとなくそう思えたのは事実だ。しかも適当に言ったつもりだったのに、どうやら図星だったようで、碧海ちゃんのボクに対する冷たい視線がそれを物語っている。

「ま、今時女優なんて流行らなさそうだし、声優始めたのだって元々は事務所の意向って気もするし」
「それは違う! 事情は話せないけど、声優になったのはわたしが選んだ道だから」

 強く反発したかと思ったら、弱々しそうに補足を入れてきた。恐らく碧海ちゃんは真実を話している。碧海ちゃんって純粋に嘘が下手なだけで、しかもそれをわかった上で嘘をついてるからなんとなくわかる。嘘じゃないものは真実だってこと。それだけのお話。……なにそれ。やっぱしめんどくさくない!?

「別に文句はないんだけどさ。でもそれ、本当に碧海ちゃんがやりたいことなの?」

 そもそもボクは碧海ちゃんを虐めたいわけではないんだけどな。

「わたしのやりたいことって、それ一体どういう意味よ?」
「碧海ちゃん自身が見つけられてないものを、どうしてボクが答えられるのかな?」
「なんでわたしが見つけられてないって断定なのよ!?」

 わかるよそんなの。何に躓いているのかまではわからないけど、がむしゃらに迷って出口を必死に探していることくらいはさ。いつも強がってばかりで、必死に本音を嘘で塗り固めてることも。
 じゃないとそんな痛々しい笑顔は作れっこないってことくらいはね。

「いっそ全部捨てちゃえばいいじゃん。嘘つきな声優アイドルにでもなればいいんだよ」

 だったらその笑顔を全部武器にしてしまえばいいと思うんだ。嘘をつくべき事情があるなら、何もかも全部捨てて、その嘘を利用してしまえばいい。麻薬のような魔法で、その毒は最後に自分の身を滅ぼすかもしれない。奈落の底まで沈んでいく最後の瞬間まで、それでも自分を偽り続けることはできるはずだから。

 ……ボクがこの世界に生を受けていたならば、きっと同じようにそうするはずだ。

「アイドルかぁ。……ふふっ。どうしよっかな〜?」

 階段の一番上まで昇りきると、碧海ちゃんの足はぴたっと止まった。目の前では辺津宮でお参りする人たちが列を作っているけど、さほど長くもない行列のため、すぐにでもお参りの番が回ってくるだろう。うかうかしてると財布を出す時間さえ見失ってしまいそうだ。

「お前、本当にアイドルデビューするのか?」

 そこへようやく追いついたお兄ちゃんが、いかにも優しそうな声で碧海ちゃんに問いかけた。どうせならボクに対してその優しさを使ってほしいくらいだ。透ちゃんも二人の様子を気にしているみたいだけど、今はお参りすることが最優先。小銭を用意しながら二人を横目で眺めつつ、自分の願い事を探しているようだ。

「さてどうだろね。ここから先は企業ヒミツってやつだよ?」
「なんだよそのキギョウヒミツって。絶対その日本語合ってないだろ」
「そんな細かいことは気にしないの。ほら、前進んだよ」

 碧海ちゃんがどこかで落としてしまった何かは、もう雲の上にしか存在しないのかもしれない。
 だけどその刹那、碧海ちゃんの瞳は灰色に変わっていた。冷たくも温かくもない無機質な視線は、小さな恐怖心さえ覚えるほど。だけどその瞳の奥底には、星屑の輝きが無数に広がって見えたんだ。

「ほんと世話が焼けるよね。碧海ちゃんってさ」

 小さく呟いたボクの声は、誰にも届かなかったかもしれない。
 ボクだって、ただ本物の笑顔ってやつを探してるだけなんだけどな。

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