しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

エーデルシュティメ 006『水族館に三人でダブルデートと呼べる事情』

> prev: 005

 今日一番の目的地は、江ノ島の対岸にある水族館だ。俺らは館内を散策した後、水族館の終点となる売店に辿り着く。にしても気づけば上杉は俺から微妙な距離を取りつづけているし、今日の江ノ島探索の目的が親睦交流だとしたならば、本当に成功と呼べるのか、どうしても疑問符がつくくらいだ。

 今日水族館を訪れた本来の目的は上杉にあり、上杉が実験に使用する素材を回収する必要があったからだ。数日前、上杉は一人でこの水族館に訪れ、飼育員さんに水槽へマイクを取り付けてもらえないか頼んでいたらしい。飼育員さんは上杉の身元を確認すると、共同研究を進めることを条件にそれを承諾してくれたのだそうだ。今日はその収録素材の回収日だったという話。

 ところがそんな真面目なお話に、昨日奇妙な反発を示したのは緑川だった。

「でもよかった。透がおひとりさまデートを卒業してくれて」

 奇妙というのはその謎な単語のこと。つか『おひとりさまデート』ってどんな単語だ?

「べ、別に、僕は一人で来てもよかったんだけど、大樹くんこれでも女子の中では人気あるし、そんな男子とデートしたらどんな気持ちになれるかって、こ、これは僕自身の一種の実験みたいなもんだ」

「ちょっと待て。さっきの『これでも』って一体どういう意味だ!?」

 正直そんな話、初耳だ。俺が単に意識してこなかっただけかもしれないが。


「やっぱり多数決の結果、今日のこれはダブルデート確定ってことでオーケーだね!」
「うん。碧海さんのおかげで、僕も男の子とデートするという実績を解除できた」
「……おい。だからどうやったら三人でダブルデートって話になるんだよ!?」

 二人はどうあってもこれを『デート』と呼びたいらしいが、ダブルデートなら最低でも四人いないと辻褄が合わない。いつもどおりの緑川はともかく、上杉の方も大分話が流され気味なんだよな。

 緑川は上杉の笑顔を確認すると、これでよしと言わんばかりに一人で売店内を散策し始めた。足を止めた場所は大きなぬいぐるみが並んでいる場所。これいいな〜という顔しながら、両腕で巨大なサメのぬいぐるみをえいっと抱えていた。最近では某外資系の家具屋でサメのぬいぐるみが飛ぶように売れてるらしいが、どうしてあれがそんな人気あるのか、俺にはやはり見当がつかない。

「あんな大きなぬいぐるみを動かそうとしたら、モーターがいくつ必要なんだろ?」

 そして上杉は若干斜め上な感想を抱いている。ちなみに例のカメレオンの方は、ご主人様と呼ぶ上杉の鞄からひょいと顔だけ出して、その様子を淡々と伺っていた。

「ひょっとしてお前は巨大なライバル出現に危機感を持ったりするのか?」
「抱くわけないじゃん。たかがぬいぐるみごときにさ」

 というかお前もぬいぐるみじゃないのかよ?

「ボクの興味はご主人様だけだもん。他のぬいぐるみがどうなろうと知ったこっちゃないよ」
「お、おう。ご主人様とは仲がいいんだな?」
「そんなの当然じゃん。ボクの身体を作ってくれた命の恩人だよ?」
「なるほど。命の恩人か」

 言い得て妙だ。創造主にそのつもりがなくても、AIにとっては命の恩人そのものなのだろう。

「よく言うよ。僕と二人でいるときは大樹くんの話ばかりしたがるくせにさ」
「え、そうなのか?」
「あ〜! それお兄ちゃんの前で絶対言っちゃダメ。それ以上言ったら相手が透ちゃんでもボク怒るよ?」

 カメレオンはその仕組み上、顔色一つ変えないまま声だけで怒った態度を示そうとする。冗談なのか本気なのか判別できないにもほどがあるが、俺はこの奇妙なぬいぐるみと二人きりで会話した記憶など一度もない。気づいたら勝手に『お兄ちゃん』と呼んでくるし、だけどそれ以上の絡みは皆無だったので、むしろ嫌われてると思ってたくらいだ。

「だけど碧海さんのことはあまり話そうとしないよね?」
「別にそういうのじゃないんだけどね……」

 緑川の名前が出た途端、カメレオンは急に話したいものを見失ってしまったような態度を見せた。どこか人間的な反応にも思え、俺の知ってるクールなAIの反応とはやや異なっている。

「僕としては碧海さんともうまくやってくれると嬉しいんだけどな」
「ボクは碧海ちゃんの嘘つきなところが大の苦手なだけだから」
「嘘つき?」
「そうだよ。碧海ちゃんって嘘つきじゃん。いつも作り笑いばかりさ」

 俺と上杉は無言のまま互いに顔を見合わせて、『そうなの?』と答え合わせをする。

「あんなのボクも許せないよ。ボクたちのこと、全然信用してくれてないのかな?」

 というか俺はカメレオンの言うことに半分同意して、半分理解できなかった。
 同意というのは緑川が嘘つきという点。事実緑川の笑顔なんて嘘の塊そのものだし、作り笑いと言われても否定のしようがない。ただし理解できないのは、それをそこまで反発する必要があるのかって話。所詮この世界は嘘だらけだし、緑川が俺らを信用してないとかあまり関係ないんじゃないかって。

「だからボクも碧海ちゃんのことは全然信用できないし、やっぱし大っ嫌いだよ!」

 こいつのスピーカー、ここまで大きな音を出すことができたのか。俺の関心は思わずそちらへ向いてしまう。それほどにカメレオンは緑川に対して強く反発していた。
 すると緑色のフェルトにぎっしり綿が詰めこまれたその身体は、軽くひょいと持ち上げられてしまう。カメレオンくんは不器用そうな手足をばたつかせ、大きな両手から脱出を試みたが、両手の主はがっしり掴んだまま決して離そうとしない。カメレオンくんの小さな願いは、残念ながら到底叶いそうもなかった。

「そっか。やっぱりわたしってカメレオンくんに嫌われてたんだね」

 両手の主とはレジで会計を済ませたばかりの緑川だった。右肘に抱える水族館特製の買い物袋からは、サメのぬいぐるみの頭の部分だけがひょっこり顔を出している。さすがに大きなサイズを買うのは諦めたようで、サイズはカメレオンくんより一回りほど大きいサイズのものを選んだようだ。

「別に怒ってないって。カメレオンくんの言うとおり、わたしは嘘つきだしね」
「…………」

 緑川の手の中で、カメレオンくんは小さく固まってしまう。AIだったらとりあえず答えを導き出して、何でもいいから少しくらいの抵抗をするものだろうけど、こいつの場合そうは造られていないらしい。

「カメレオンくん一人騙せないなんて、わたしって思ってるほど演技力はないのかな?」
「ボクは人じゃないもんカメレオンだもん……」

 ようやく飛び出したカメレオンの小さな抵抗は、どこか明後日の方向へと向かってしまっている。それはさておき、忽然と出てきた言葉に俺はやや違和感を覚えた。そもそも今の話の流れって、演技力の話をしていただろうか。緑川が意図的に話題を変えた? それとも……。

「お姉さんこの程度でアニメの準主役なんて務まるのか、少し不安になってきちゃったよ」

 緑川はやっと聞き取れるほどの小さな声で、そう独り言を呟いたんだ。

 どうしてこれが緑川の本音だと思ったのだろう。俺には最初理由もわからなかった。嘘まみれの緑川だけに、これだって適当に言ってるだけかもしれない。だけど彼女の弱気な態度がやはり意外にも思えたんだ。緑川は自分を強がらせるために平気で嘘をつく。なるほど、それが理由なのかもしれないと。

 ……ん? 今、そもそもなんて言った??

「アニメの準主役!??」

 その言葉に先に反応したのは俺ではなく、アニメにはほぼ興味がなさそうな上杉の方だった。

> next: 007