しかつきかふぇ

ちょっとした休憩時間に

セピア色の傘立て 007『姉と弟と過去と未来』

 夜空はまだ厚い雲に覆われているけど、ところどころ雲の隙間から星が煌いている。
 芸能事務所『カスポル』の建物の三階は居住区になっていて、両親と私、そして隼斗がここに暮らしている。もちろん私と隼斗の部屋は別々で、だけど私が隼斗の部屋に無断で侵入しても、隼斗は一度だって怒ったことはない。彼が無頓着なだけかもしれない。

「……ねぇ。私がアイドルになるって言ったこと、やっぱし怒ってる?」

 隼斗は部屋のベランダで、ぼんやり星の数を数えてるようだった。曇ってばかりで本当に数えるくらいしか見えないけど、私の部屋にはベランダがないからちょっぴり羨ましくも思えた。

「別に」

 たった一言。それだけじゃ言い表せない何かがあるのは明白なのに。

「だけど、私だって怒ってるんだから……」
「何をだよ?」

 このままでは隼斗の態度と無愛想な言葉の撃ち合いで、また喧嘩になってしまう。それでも隼斗に言いたいことが山ほどあるのは事実だ。

「隼斗が役者を辞めるって言ったこと」
「…………」

 ここで黙られるのも卑怯。まるで私が隼斗を虐めてるかのようにも思えてくる。

「そもそも辞める必要なんて本当にあった? 隼斗は何も悪いことしてないのに」
「別に、そういうのじゃねーよ」

 だったらどういう理由なのだろう? そんな私の疑問など何一つお構いなく、隼斗はまただんまりを決め込んでしまう。頑固でどうしようもない性格なのは、幼い頃から変わってないのだ。

「ねぇ隼斗。やっぱし隼斗は、私のことが嫌いなの……?」

 それがますます私を不安にさせる。これだって私が小さい頃から何も変わってない。

「私が頼りないから……隼斗に迷惑ばかりかけているから……」
「だからそういうのじゃないって言ってるだろ!」

 隼斗が語気を強めたせいで、風船が割れたようにしゅんとなる。彼が私に振り向いてくれたことなど一度だってなかった。姉として頼りないのは間違えない。あんな事件、私一人で解決させるべきだったのに、隼斗を巻き込んでしまった。そのせいで大好きだった隼斗の演技を、もう見れなくなってしまったのだから。

 私だって本当は、隼斗と喧嘩なんてしたくはないのだ。

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エーデルシュティメ 011『現実世界に棲むAIの葛藤』

「なぁ。お前は何者なんだ? なんで俺の妹の名前を……」
「ボクにだってわからないことを、お兄ちゃんに答えられるわけないじゃん」

 寮へ戻ると、ボクたちを待ち構えていた風のお兄ちゃんに間もなく捕まってしまう。もっとも呼び止められたのは美少年系美少女として校内でも名高い透ちゃんの方じゃなくて、ボクだけだったみたいだけどね。もう少しお兄ちゃんも同世代の女子に関心持った方がいいと思うんだけど、どうかな?

「そんなの答えになってるのかよ? お前はもしかして……」
「お兄ちゃんの言いたいことは大体想像つくけど、だから言ってるじゃん。これはボクにだってわからないんだよ。それよりお兄ちゃん。いつも胸につけてたペンダントを最近見ないけど、あれどうしたの?」

 その質問がボクからお兄ちゃんへの答え。高校に入ってしばらくして、あのペンダントを見なくなった。

「あれは…………もう何かが、いないと思ったから」

 お兄ちゃんのその答えもきっと正解で、その言葉に全てが詰まっているのだとボクも思う。互いの答えが一致したことを確認すると、お兄ちゃんはそそくさと逃げるように去ってしまった。少し顔を赤らめていたように見えたのは、ボクの思い過ごしかも知れないけど。

「言われてみると、最近確かにあのペンダントをつけてる様子はないですわね」
「ペンダント……?」

 だけど透ちゃんだけは相変わらずで、お兄ちゃんの変化に気づいてもなかったようだ。まぁお兄ちゃんがペンダントを身につけなくなったのは高校へ入って間もない頃のことだし、その頃の透ちゃんは全然余裕がなかっただろうから。

「ちょっとおねえ様! あのイケメン君を本気で狙ってるのでしたら、もう少しちゃんと寄り添わないとダメですよ!!」

「だからそういう話は今日はどうでもよくて……」
「どうでもいいことなんてありゃしません! おねえ様がそんな態度だからいつになっても何も進展しないんじゃないですか!!」
「ごめん。やっぱし今日は貴女を追い出してもいいかな……?」

 そんなことは当然透ちゃんも自覚している。透ちゃんが本気でお兄ちゃんを狙っているのかはさておき、同じ年の異性として自分の近くにいる存在、その人の役に立てるのなら精一杯力になりたいと思える存在。だって、それが透ちゃんの初めてなんだろうからね。

 ……ところで突然現れたこの人、誰だったっけ?

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セピア色の傘立て 006『自分を嫌いな彼女がアイドルになる資格』

 外へ出ると、冷たさの元凶でもあった雨の音はすっかり止んでいた。
 あいつがアイドルデビューするという件は、緑川が『やりたくない』と拒絶したことにより、一旦保留が決定する。すると星乃宮楓と名乗っていた彼女は、忽然と姿を消してしまった。まるで幽霊が突然姿を現し自ずと消滅したかのような、そんな気配さえあった。これまで数多のタレントを育てた実績のある社長でさえ、彼女の持つ独特の空気感には呆然とするしかなかったようだ。

「…………」
「……なぁ、お前は」

 俺はと言えば、緑川を送り届けるよう社長に頼まれた。もっとも今緑川が住んでる場所は、すぐ近所にある高校の学生寮だったらしい。徒歩で十分くらいといったところか。その途中、緑川は考え事をしているのか、ずっと俯いたまま俺の隣を歩いているけど。

「ねぇ月島くん。こんな可愛い美少女に『お前』って呼ぶのはデリカシーがないと思うよ?」

 だが彼女を少し心配していたつもりが、そうあっさり返されてしまう。

「ごめんね。君の大好きな遥華ちゃんの役に立てそうもなくてさ」
「いや。勝手に巻き込もうとしてるのはうちの事務所の方だし」
「……それもそっか」

 冗談もさりげなく交えながら、自分というものを覆い隠すように、緑川はいつでも笑っているんだ。

「でも、なぜそんなにアイドルをやりたくないんだ?」

 すると緑川は、俺の横顔をじっと伺ってくる。またデリカシーがないと言われるのだろうが、その程度のことは承知の上だ。緑川が心の奥底から笑えば、美しい純白の華を咲かすことができるはず。

 だから俺は緑川にアイドルをやってほしい。あいつだってそれを願ってるはずだ。

「ふふっ。きっと理由聞いたら君もどん引きすると思うよ? それでも聞きたい?」
「あ、ああ……」

 正直なところ、昨日から星乃宮という女子に遭遇して、これ以上何も驚かないと思っていた。

「わたしね。同じ年の男の子と、ひとつ屋根の下で同棲中なんだ」

 しかし、その見積もりはやや甘かったようだ。
 これ以上ない悪戯な笑顔は、俺の心臓を撃ち抜いたまま、全身の力をすっと奪っていったんだ。

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エーデルシュティメ 010『AIが生み出す幸せと不幸』

 そそくさと帰ってしまったお兄ちゃんの顔は、やはり機嫌を損ねたままのように見えた。
 だけどボクだってこの状況を理解できてないんだ。ボクの正体を問われたところで、そんなの返せるわけがない。わかっていることは、お兄ちゃんが生を受けたのと同時に、ボクもこの世界に現れたということ。何もできない理不尽な時間だけが、無意味に流れてきただけなんだから。

 でもこれだけは言えるよ。ボクはお兄ちゃんをいつでもずっと見守ってきたんだって。

「あ、あの……」
「ああ、ごめんごめん。とにかくその辺へ適当に座ってよ」

 お兄ちゃんが去った後の霧ヶ峰先生の研究室は、空虚な沈黙だけがあった。透ちゃんもきょとんとするばかりで、一体何が起きたのか、全然頭の整理が追いついてないようだ。

「コーヒーと紅茶、どっちにする?」
「あ、じゃあコーヒーで」

 そんな透ちゃんを見かねたのか、霧ヶ峰先生は優しいさりげない声をかける。コーヒーの粉を紙の上へ落とし、湧きたての熱湯で少しずつドリップしていく。やがて研究室には甘い香りが漂い始めてきた。

「コーヒー好きなの?」
「あ、いえ。たまに深澤くんが淹れてくれるコーヒーが美味しくて、それで……」

「そっか。ちなみに、彼にコーヒーの淹れ方を教えたのも僕なんだけどな」

 うん。その光景ははっきり覚えてる。お兄ちゃんが毎日ここに引き篭もっていたのは、ちょうど今から一年くらい前のこと。当時中学生だったお兄ちゃんはコーヒーなんてもちろん飲んだことなくて、先生がそのことを気づかずに無理やり飲ませていた気がする。最近こそお兄ちゃんは生意気に『ブラックもいいけど疲れを取るには砂糖が必要』とか言うようになったけど、最初の頃は砂糖だけはおろかミルクもたっぷり入っていたし。

「深澤くんにAIのことを教えていたのも、先生なんですか?」

 透ちゃんの顔はまだどこか緊張が混ざっている。それに呼応するように先生はゆっくりと首を横に振った。

「僕が大樹君に教えたのはAIじゃなくて、医療工学についてだよ」

 そうなんだ。霧ヶ峰先生は元々はお医者さんであって、AIの先生でもなんでもない。ただAIの研究成果を活用しているというだけで、AIそのものに興味あるわけではないんだよね。

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セピア色の傘立て 005『アイドルとして求められるもの』

「先方とも話はついてるって、わたし何も聞いてないのですけど?」

 碧ちゃんの話であるのに、一番驚いていたのは碧ちゃん自身だった。確かに碧ちゃんの口からアイドルの話などイチミリも出てきてなかったわけだから、本当に初耳だったのかもしれない。

「うちの事務所主体で活動するアイドルグループに碧海ちゃんを参加させようって話よ。さっきも碧海ちゃんとこの社長さんとランチ食べながらその話をしてたんだから」
「あら奇遇ね。そういう話なら本当に何も問題ないじゃない」

 だけどこの急展開な状況に、一番のほほんとしているのは星乃宮と名乗る彼女だったりする。まるでさも当然みたいな口調で、隼斗の淹れたブレンドコーヒーをちびちび飲み続けていた。ここまで堂々と居座られると苛立ちさえ覚える程だ。

「今日碧海ちゃんをここへ呼んでたのもそれが理由よ。どういうわけかその前に碧海ちゃんへ話が行き届いてしまったようだけどね」
「ああそっか。わたし今日元々この事務所に用事があったんだった」
「…………」

 思わず私は隼斗と顔を見合わせてしまう。『だから言っただろ』みたいな顔をしている隼斗に、ますます苛立ちを覚えた。事実なのはママが碧ちゃんをここへ呼んでいて、近くの公園を歩いていたところをたまたま隼斗と出会っただけ。それは偶発的に発生した遭遇イベントでもなく、ただの必然だったらしい。

「これで決まりね。緑川さんと陽川さんとあたしの三人でアイドルデビューするって」

「でもそれにはもう一つ問題があるわ。遥華と碧海ちゃんはともかく、貴女は誰よ?」

 が、ママは当然のちゃぶ台返しを繰り出す。得体も知れない少女に、おいそれとアイドルデビューなどさせられるはずもないのは当然だ。そもそも彼女についてはママも知らない少女だったというわけか。

「あの〜、それ以前にわたしアイドルやりたいなんて一ミリも言ってないんですけど〜!」

 そしてすっかり蚊帳の外の碧ちゃんが可愛そうなレベルで、事務所の小さな会議室はやや不穏な空気に包まれてしまった。正直何をどこから突っ込めばいいのか、もはや全くわからない。

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エーデルシュティメ 009『壊れたAIの笑顔の行方』

 ここは、とある高層ビルの最上階。狭い廊下に設置された窓からは、紅い夕日が眩しく差し込んでいた。久しぶりにビルの影に囲まれた都心の街へやってくると、圧倒的な世界の広さというものを思い知らされる。
 ……あ、ボクが以前いつ東京にやってきたのかって話は、もちろんヒミツだけどね。

「カメレオンくんもなんだか楽しそうだね」
「透ちゃんほどじゃないよ。さっきからずっと胸がドキドキしてるし」

 透ちゃんは小さく笑って返してくる。透ちゃんの胸ポケットの中にいると、温かい体温と心臓の鼓動がボクの胸の奥まで響いてくるんだ。音のリズムも常に変わっている。今日の音は、明らかに楽しそうなそれなんだから。

「だってあの有名な霧ヶ峰先生だよ! やっと先生に会えるんだから」
「別にあの人、そんな大層な人じゃないと思うけどね」
「またそんなこと言う。カメレオンくんだって自分の生みの親に一度も会ったことないでしょ?」

 霧ヶ峰先生というのはAI技術の最先端で研究している学者さんで、ボクのこの身体も基礎設計は霧ヶ峰先生の論文を基に創られているのだとか。透ちゃんにとっては『心の師匠』とやららしく、今日はそんな先生との初対面で、浮かれ気分なのもわからなくはない。
 だけど正直なところ、実験してる時以外は天然の入ったただのボケたおじさんって具合で、見た目は全くと言っていいほどそんな偉い学者さんには見えないんだよな。

「ああっ、透ちゃん。この部屋だよ。行き過ぎちゃってるから」
「あ、ごめん。てかカメレオンくんはよく気づいたね?」

 浮かれてたせいだろうか。透ちゃんは目的の部屋の前を通り過ぎて、隣の部屋の前まで進みかけていた。もっともこの研究棟の部屋の表札には部屋番号しか書かれてないし、初見殺しと言われても仕方ないんだけどね。お兄ちゃんも初めてここに来た頃は何度も通り過ぎてたし。

「失礼します」

 透ちゃんはノックして畏まった挨拶をすると、静かにそのドアを開く。

「お、次の来客が来てしまったみたいだね」

 だけど先生の方は先客とまだ会話中だったようで、僅かに慌てた素振りを見せていた。しかもその先客というのは透ちゃんもよく知る人物だったりするわけで。

「え。深澤くん???」

 ……ま、ボクは知ってたけどね。

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セピア色の傘立て 004『混沌のコーヒーカップ』

「隼斗は私がアイドルになることを後押しするんだ。随分と変わり身が早いのね?」
「別にそうは言ってない」

 もやもやする。ずっとこれの繰り返し。何が言いたいのかさっぱりわからない。

「さっきからそう言ってるじゃない! この話に関係のない碧ちゃんまで巻き込んで」
「彼女にはここにいてもらってるだけだ。遥華と俺だけでは話もまとまらなそうだし」
「私のせいだって言うの? そんなのただの言い逃れじゃん!」
「そもそも先にアイドルやるって言い出したのは遥華の方だろ」
「そんなこと言ってるんじゃない! 隼斗が私のこと……」

 隼斗は私のことを全然信用してくれていない。

 それを口に出してしまったら、負けを認めたことになる。
 私がアイドルになるというのも隼斗への反発心に対する結果。正解かさえもわからない。
 本当は隼斗に止めてほしいだけかもしれない。
 ただの願望で、ただの私の我儘。
 私はどこまで図々しい人間なのだろう。

「ねぇ。早くアイドル始めないの? あたしはそのためにここに来たのだけど」

 私と隼斗の空虚な硬直を打ち払ったのは、間にいたはずの碧ちゃんでさえなかった。
 碧ちゃんはさっきからずっと自分のスマホと睨めっこしている。たまにちょびちょび隼斗が淹れたコーヒーを口につける姿は、ある意味私達を信用してくれてる証かもしれないけど。

「そもそもあなた……誰よ?」

 だからこそ、彼女は一体誰なのだろう。
 私との唯一の接点を探すなら、私と同じ学校の制服を着ているってことくらいか。

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